2005年4月7日の阪神戦。この日の試合は、市民球場でプレーした多くの試合の中でも最も深く心に刻まれています。
この年の私は、開幕から中継ぎの非常に重要な部分を任されていました。開幕シリーズの東京ドームでの巨人戦では、2戦目に6回から3イニングを抑えて、1点差を守ったりして、それなりの役割を果たしながらシーズンをスタートしていました。しかし、実際は技術的な裏付けに乏しく、気合いだけで投げている状態で、精神的には厳しい状態だったように思います。
この日も大事な場面での登板でした。同点で迎えた8回表、1点もやれない場面です。この日も気合いだけは充分。勝利への執念は相当なものでした。この回は危なげなく0点に抑えてベンチに戻ってきました。裏の攻撃では、私のところに打順が回ってきます。代打も考えられる場面です。しかし、首脳陣からは当然のように続投の指令が下りました。これで、完全に闘志に火がつきました。
「信頼されている。何とか自分の力でチームを勝たせたい。」
私は、強くそう思いました。闘志は、打席でもみなぎってきました。相手投手は、左のジェフ・ウイリアムス投手。左打者の私にとっては、非常に難しい相手でしたが、構わず踏み込んで放った打球は、三遊間方向へ高く弾みました。
「よし!!」
私は、全力で1塁へ駆け込みました。内野安打です。ツーアウトでしたが、とにかく塁に出ました。次打者は、福地(現ヤクルト)。その初球、ウイリアムス投手は足を高く上げて、1塁走者の私を全く警戒することなくホームに投じました。まあ、それも当然です。ツーアウトで走者は投手。打者との勝負に徹するのはセオリー通りです。しかし、大学時代まで野手だった私には、走者としての感覚もまだ残っていました。
「これは、行ける。いや、行かなきゃダメだ。」
打者の福地は、現在はリーグを代表するような打者になりましたが、その時は、まだこの好投手から長打を打つのは難しいと感じました。
「このまま1塁にいては点が入る可能性は低い。でも、2塁に行けばシングルヒットでも点が入る可能性が出てくる・・。よし、次、走るぞ。」
そう決断しました。次の1球。私は、投手の足が動くのと同時にスタートを切りました。
「よし!これなら行ける。」
大学時代までの感覚では、完全にセーフになると思っていました。しかし、2塁に近づくと、二塁手が今にもボールを捕球しそうな体勢で待ち構えています。
「ま、まずい!アウトになるぞ!」
その後は覚えていません。気づいたらヘッドスライディングをして必死に手を伸ばしていました。
「セーフ!!」
審判が高らかにコールしました。球場には、ざわめきと歓声が入り交じった声が交錯しています。
「あ、危なかった。」
この時、私はプロの凄さを痛感しました。あれだけいいスタートを切ったのに、2塁ベース上では間一髪のタイミングとなりました。矢野捕手の捕ってから送球するまでの速さ、そして、送球のスピードと正確さ。完全に未体験ゾーンでした。
「やっぱりプロは凄い。これは、ヒットが出たとしてもホームへは還れないかも・・。恐らく、外野手の技術も想像以上なのだろう。」
たった今、今までの野手としての感覚がこの世界では通用しないことを知った私は焦りました。
「でも、この投手から連打は難しい。やっぱり福地にヒットが出たら絶対にホームまで行くぞ。この試合、勝ちたいんだ。」
そう心に決めて、いいスタートを切る為に、全神経を集中しました。
「ツーアウトだし、バットに当たると判断したらスタートだ。」
次の投球はほぼ真ん中のストレート。福地のバットもそれに反応しています。
「これは、当たる。」
しかし、次の瞬間バットは空を切り、ボールはミットに収まりました。私は、大きく飛び出しています。矢野捕手は、2塁ベースに向けて送球する体勢に入っています。
「ええっ!!」
私は、慌てて戻ろうとしましたが、焦りすぎて足を取られて、グランドに俯せに倒れました。しかし、それでも帰塁を諦めずに、手足をばたつかせて土の上を泳ぎ、何とかベースにたどり着きました。捕手からの送球は来ていません。間に合いました。また、球場がざわついています。ホッとして、ベース上で立ち上がりカープのベンチを見ると、みんな大笑いしています。必死過ぎて、自分がどんな動きをしたのかよく覚えていませんが、かなり滑稽だったようです。その回は、結局点は入りませんでした。
9回の表の私のマウンドは、前の回とは打って変わって苦しいものとなりました。気合いは満ち溢れているのに、力が入りません。結局、元同僚のシーツに力のないシュートをスタンドまで運ばれて2点を失ってマウンドを下りました。
「・・・。」
ベンチに戻ると、悔しさに耐えられず、目から涙がこぼれてきました。しかし、まだ試合中です。みんなはまだ戦っています。そんな姿は見せられません。私は、近くにあったタオルを頭から被って顔を隠して、その隙間から戦況を見守りました。
最終回の攻撃。7対9の2点ビハインド。阪神は守護神の久保田投手に代わりました。厳しい展開です。私には、もう祈ることしかできません。
しかし、ここからチームメイトの凄い気迫を目撃することになります。ベンチから、これから打席に向かう野手陣が、もの凄い形相で相手投手の投球練習を見ています。誰一人として諦めていないと感じました。打席に入った打者も、鬼のような形相で、久保田投手のあの剛球に食らいつき、簡単にアウトになりませんでした。私は、そんな姿を見て胸が熱くなりました。
みんなの気迫は、ついに相手を打ち破りました。嶋の同点2ランの後もなお、激しく攻め立てたカープは、浅井さんのヒットでサヨナラ勝ちを収めました。歓喜の輪の中で、また涙が溢れました。
ロッカーに戻ると同点ホームランを打った嶋が私に言いました。
「広池さんのあんな気迫を見せられたら、負ける訳にいきませんよ。みんな同じ気持ちだった筈です。」
私は、チームスポーツとしての野球の素晴らしさを体験しました。みんなで気持ちを一つにすれば、それは想像を超えた大きな力となることを学びました。
翌日、山本浩二監督から全員に監督賞が出ました。監督は、
「あんな凄い試合は初めてだ。広池、お前の気迫がみんなに火をつけたんだぞ。」
と言って下さいました。横にいた安仁屋投手コーチは、
「何だ!?打たれて監督賞か!?」
と笑っていました。後日、この模様がサンデーモーニングで放送されて、立教大学の大先輩である、大沢親分に「喝!」をもらってしまいましたが、私にとっては生涯忘れることのできない試合となりました。
このシーズンは、その後思い通りに投げることができずに終わってしまいました。全てをこの試合で使い果たしてしまったのでしょうか。それは定かではありませんが、長いシーズンを戦い抜く使命があるプロ野球選手としては、心身共に未熟であり、失格です。そういった意味での大先輩からの「喝!」だったように思います。
しかし、悔いはありません。あの1試合は、仲間の尊さ、野球の素晴らしさを知った私にとって掛け替えのない試合です。むしろ、この試合の経験が今日までの糧となり、私を今だに現役でプレーさせてくれているように思います。私はこの試合を今年で役目を終えた市民球場での大切な思い出の1ページとして、いつまでもいつまでも心の中に深く刻んで生きていきたいと思います。
広島市民球場の思い出の最近のブログ記事
今日は、久しぶりになりましたが、市民球場の思い出についてのお話しをしたいと思います。
1998年9月27日。ドラフト指名を目指し、ドミニカ共和国から帰国して、ファームの秋季練習に参加していた私は、その日の練習を終えて、他の選手と共に市民球場に向かいました。この日は、尊敬する大野豊さんの引退試合です。
球場に着きました。その年、カープは優勝争いからは脱落していましたが、スタンドは満員です。私は、1年前の入団テストの際にグランド内に入りましたが、お客さんで埋まった市民球場に来たのはこの日が初めてです。私は、その雰囲気にただただ圧倒されました。レフトスタンドの上段の一部の横浜ファンを除いて、赤く染まったスタンド。グランドとスタンドの近さから感じる臨場感。チャンスの時にオーロラビジョンに映し出されるお好み焼き。私が、今まで行ったことのある首都圏のどの球場よりも一体感があり、熱気に溢れ、地域色が感じられ、みんなが心から野球を楽しんでいることが伝わってくる最高の球場でした。
「いいなぁー。市民球場。」
ネット裏の一番上の立見席に陣取った私は、思わず呟きました。
先発は、1月にドミニカで一緒に練習を行った黒田。期待された2年目は、ここまで白星がなく、苦しいシーズンを送っていたようですが、この日は違いました。大野さんの引退試合という特別な日、そして、満員のファンの前でこの男が燃えない訳がありません。強気の攻めで7回を1失点。その役目を充分に果たして、大野さんにバトンを渡しました。
8回。横浜の攻撃。場内に投手交代のアナウンスが響きます。
「ピッチャー大野。背番号24。」
リリーフカーに乗った大野さんが姿を現すと、スタンドは総立ち。この日いちばんの盛り上がりです。鳥肌が立ちました。
「かっこいい。」
またまた私は、呟いてしまいました。
大野さんは、マウンドで躍動していました。代打の中根さんに対して、立て続けに力強いストレートを投げ込み、最高球速は何と146キロ!これが引退を決めた人が投げる球なのでしょうか。信じられません。最後も140キロを軽く超えるストレートで空振りの三振。万雷の拍手を浴びながら、最後のマウンドを下りました。ご本人は晴れやかな表情に見えましたが、守っていた野村さんなどは、三振を奪う前から守備位置で涙を拭っているように見えました。大野さんがチームの中でどれだけ尊敬されていたのか、その様子を見ただけでもうかがい知ることができました。
その後、マウンドを受け継いだのは、これまた、自主トレ期間にドミニカで一緒に汗を流した新人の小林幹英。彼は、1月にその投球練習を見た野村さんが予言した通りの大活躍。新人王にも手が届くような働きを続けていました。この日も、プレッシャーのかかる中、堂々と最後まで投げ抜き、セーブを挙げてチームに勝利をもたらしました。
「みんな、かっこいい。俺も、カープのユニフォームを着て、市民球場のマウンドに立ってみたい。」
私は、最高のゲームを見せてもらったお陰で、カープのそして、市民球場の魅力に完全に引き込まれました。
試合後の引退セレモニーで大野さんは、
「我が選んだ道に悔いはなし。」
というあの有名な言葉を残して、グランドを去りました。セレモニーを見守ったカープファンのみならず、帰ることなく球場に残った横浜の選手、そして、横浜ファンの中にも涙を流している人が見受けられました。大野さんは、チームの中だけではなく全ての人に愛される凄い人でした。
セレモニー終了後、私は、他の選手と一緒にロッカーの前まで行き、幸運にも大野さんとお会いする機会を頂きました。
「今、カープのテストを受けている広池といいます。長い間、お疲れ様でした!」
私が、緊張の面持ちでそう言うと、大野さんは優しい笑顔で、
「ありがとう!君もこれから頑張れよ!」
としっかり目を見て言って下さいました。私みたいな者に対しても慌ただしい中、ちゃんと足を止めて丁寧に対応する、テスト生からはい上がった大先輩のそんな姿を目の当たりにし、私は、改めて大きな尊敬の念を抱きました。
私が、初めて観戦した市民球場での試合は、今でも強く心の中に刻まれています。晩年は、この球場のことを古いとか、狭いとか、言う人もいましたが、カープの投手である私にとっては、思い出の詰まった最高の球場です。特に、以前にも触れたことがありましたが、この日のようなデーゲームの雰囲気が大好きで、入団以来今日まで10年間、私の心を掴んで離しませんでした。中継ぎでの登板が多い私は、スタンド下のブルペンの中にいることが多く、登板しない限りその大好きな雰囲気を味わうことができません。そこで、デーゲームの際は、初回をベンチの中で過ごして観戦した後、スタンド下の通路を通ってブルペンへ向かう投手が多い中、私は、わざわざグランドの中を通ってブルペンに向かい、その空気に直接触れてパワーをもらうようにしていました。その効果もあって、市民球場のデーゲームでは、初勝利や初セーブに代表されるように、いい思い出をたくさん作ることができました。
ここからは、少し余談になりますが、数年前のオフの行事で顔を合わせる機会があった古田さん(ヤクルト)に、私はこう言われました。
「広池。ずるいよ。市民球場のデーゲームの時、お前のリリースポイント見えないよ。」
聞くところによると、プレートのいちばん一塁側を踏み、しかもややインステップしながら、スリークォーターで投げる私のリリースポイントは、右打者から見ると、完全にバックスクリーンからはみ出し、外野スタンドのお客さんの中からボールが出てくるような感じがして非常に見づらいそうです。特に、晴れた日に白い服装の人が多いと最悪であると言っていました。私が大好きな市民球場のデーゲームは、実はこんなところで力を貸してくれていたのです。驚きました。
市民球場ラストイヤーの今年、この球場での登板は4月以来ありません。何とかもう一度あのマウンドに立つ為にファームでやってきましたが、いまだその願いは叶いません。残り試合は少なくなりましたが、最後まで諦めずに今まで同様に、野球に励んでいこうと思います。今日も、長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。
今年は、市民球場のラストイヤーです。
私は、今年、プロ入り10年目です。本拠地であるこの球場には、やはり様々な思い出があります。今後は、月に一度くらいのペースで(あくまで予定です)、それを振り返ってお話ししてみようと思います。
第1回目の今日は、市民球場との出会いです。
私が初めて市民球場に足を踏み入れたのは、1997年の9月、カープの入団テストの日でした。
立教大学時代、外野手として1年生の時から4番を任され、プロ入りを熱望していましたが、その夢は叶わず、私は野球を諦め、全日空に就職しました。
全日空では、羽田空港のカウンター業務に就き、充実した日々を送っていました。そもそも飛行機が好きでしたし、空港独特の華やかな雰囲気も大好きだったので、とても楽しかったです。
転機は、業務全般に少し慣れてきて、余裕が生まれた入社2年目に訪れました。大学時代、神宮で共に戦った同級生や先輩、後輩が次々にプロ入りし、活躍。遠征の際に、羽田空港を歩く彼らの姿は、非常に輝いていて直視出来ないほどでした。「少し前まで同じ土俵で戦っていたのに、現在のこの違いは何なんだ・・。」。
この時からです。「野球から離れてしまって良かったのか!?何か取り返しのつかないことをしてしまったのでは・・。」と考えるようになり、夜も寝れなくなりました。会社の仕事は楽しく、上司にも恵まれ、文句なしの環境でしたが、やはり自分にとって何がいちばん大切なものか、離れて初めてわかりました。
「野球がしたい。いずれにしてもこういった気持ちを隠して仕事を続けるのは、自分に対しても会社の周りの人に対しても良くない。区切りをつけよう。」と考えるようになりました。
そんな時、私はスポーツ新聞の片隅に、「広島東洋カープ入団テスト実施」の記事を見つけました。胸が高鳴りました。受験資格は23歳まででしたが(当時私は24歳)、そんなのお構いなし。速攻、葉書に必要事項を書いて投函しました。
「広池浩司、24歳、投手」。高校、大学と投手経験がないのに、私は迷わず「投手」と書きました。理由は、投手がやりたかったから。それに、もし受かるとすれば左投げだし、投手としてしか有り得ない。という計算もありました。さらに、大学時代、あれだけ練習してもプロになれなかったのだから、野手としての能力には限界も感じていました。
前置きが長くなりましたね。ようやく市民球場の登場です。試験当日。気合いは入っていましたが、緊張はありませんでした。受験決意から約2ヶ月。仕事もあり、ほとんど何も準備はできませんでした。そもそも、まずは投手としての自分をプロのスカウトに見てもらうことが目的であり、喜びであったので、その先のことは何も考えていませんでした。
初めて足を踏み入れた市民球場は、テレビを通して持っていたイメージとは違いました。
黒く、程よい水分を含んだ質の良い土、想像以上に大きな観客席。やっぱりプロのグランドは違うなあと、感心しました。でも、いちばん目を奪われたのは、テストの手伝いの為にやって来た選手のユニフォームの鮮やかさでした。実際にプロのユニフォームは、市販されているものとは質が違うし、クリーニングの仕方もいいので、日光やナイター照明に照らされると輝いて見えます。でも、それ以上に、入団テストを受けに来た私にとっては、まさに憧れのユニフォーム。反射ではなく、実際に自ら光を放っているのでは!?と感じるくらいのオーラがありました。まあ、今考えると、そこにいたのは、若い頃の長谷川なんですけどね。
テストは、午前中に50メートル走と、遠投。それをパスした者が、午後の実技に進めます。私は、立教大学時代の背番号10のユニフォームの上に、ゼッケン6番を付けてテストに臨みました。
まず50メートル走。随分久しぶりの全力疾走に感じましたが、足が軽い!合格設定タイムは知りませんでしたが、「もしかしたら、クリアしたかも」。
次に、遠投。ここ2年くらい遠投などしてないから、どうなるか全く想像がつかない。一塁線から、レフトポール方向に2球投げて、いずれもフェンス直撃。「まあ、こんなものか。でも意外と投げられるものだ。」
受験者は100名弱。中には、明らかに「記念受験」的な人もいます。足がもつれて転んだり、投げた球が20メートルくらいのところで弾んだり・・。まあ、真剣なのは、半分くらいか。
私は、幸運にも合格して、午後のピッチングに進みました。
「思い切り投げるしかない。」そう心に決めました。技術的な裏付けなど何もないのだから、とにかく腕を振りまくろうと。
ピッチングは、一塁側スタンド前のブルペンで行われました。前の人達を見ていると、持ち球は一人、5球から10球くらいでしょうか。私の番です。1球目。思い切りストレートを投げました。「ズドン!」もの凄いミットの音がしました。ど真ん中にびっくりするくらいのいいボールです。でも、それ以上に驚いたのが、プロのキャッチャーのキャッチングです。「こんなキャッチング見たことない」。その後は、素晴らしいキャッチングにも乗せられ、絶好調。徐々に人が集まって来て、キャッチャーの後ろには、スピードガンを構えたスカウトらしき人も!最後は、投げたことのないフォークボールをリクエストされましたが、もう完全に調子に乗っていたので、適当にボールを指に挟んで腕を振ってみました。ボールは揺れながら落ちて、真ん中低めへ。「奇跡だ。」思わず心の中でそう叫びましたが、周りに悟られないように、いかにも当然のことをしたかのように引き上げました。
結果は、合格!奇跡が起きました。その日、唯一の合格者です。もう、体がふわふわするくらいの高揚感を感じて、市民球場を出た後、平和公園を何をするわけでもなくうろついたのを覚えています。
以上のように、初めての市民球場での1日は、私にとっては、夢でも見ているのではと疑いたくなるほどの出来事の連続でした。
ただ、私の入団への道のりは、この日が始まったばかりです。あくまでも、この段階では「1次テストに合格しただけ」であり、この後に、長い戦いが待っていました。機会があれば、いずれその話もさせて頂こうかと思います。
今日は、非常に長い文章に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。私にとっては、「初心」を思い出すいい時間でした。当時のことを思えば、プロ野球の世界でプレーをすることができている現在は、何があってもとても恵まれていると思います。
明日から、また気持ちを入れ替えて、頑張っていこうと思います。