今日は、チームとしても個人的にもいいことはありませんでした。
また立ち上がって諦めることなく戦うとしか今は言うことはできません。試合はまだ残っています。
冷たい雨の中で応援して下さった方々、すみませんでした。
2008年9月アーカイブ
雨の中、必死に食らいつきましたが、敗れました。相手の勝ちパターンを打ち崩して一時は追い付いただけに悔しいです。試合を決めたホームランは、いつもの浜風だったら、入っていなかったのでは・・。
個人的には、2イニングを抑えることができて良かったのですが、今は何よりチームの勝利が第一です。一歩後退してしまいましたが、まだまだこれから。関東での戦いに全力を尽くしたいと思います。
大事な試合に勝つことができました。嬉しいです。公式戦最後の市民球場の盛り上がりは凄かったです。試合開始直前に1塁側ベンチを出て、ブルペンに向かいましたが、スタンドの声援は、これまでに経験がないほど大きく、鳥肌が立ちました(上野は少し涙ぐんでいました)。今日、この場にいることができたことを本当に幸せに思います。
試合は、今日もカープのペースで進みました。最後は追い上げを許しましたが、永川がきっちり締めてくれました。真っ赤に染まったスタンド、そして、ファンの方々の大声援が、私達に大きな力を与えてくれました。今日の勝利は私達だけのものでは決してありません。
試合後のセレモニーでグランドを1周する時に、1塁側スタンドの目の前にあるブルペンを見て、11年前に市民球場で入団テストを受けた時のことを思い出しました。立教大学のユニフォームの上にゼッケンをつけて、あのマウンドの上で無心で投げたあの日、全てが始まりました。サラリーマンだった私が、今、満員のファンの方々の前で、カープのユニフォームを着てグランドに立っている。幸せなことです。カープに入ることができて本当に良かった。心からそう感じた1日になりました。また、セレモニーを最後まで見守り、声援まで下さった、ヤクルトのファンの方々にもお礼を言いたいです。ありがとうございました。
先程、新幹線の車窓から工事中の新球場が見えました。新球場は、冷たい秋の雨の中、今日の市民球場の盛り上がりとは対照的な静けさの中、じっと春を待っていました。その新球場での開幕をいい形で迎えるために、市民球場でもう一度試合をするために、その全ての願いの出発点となるCS出場権獲得への厳しい戦いはまだまだ続きます。今日、皆様から頂いた感動を力に変えて戦います。いつもお願いばかりで大変恐縮ですが、アウェーをホームに変えるような声援をよろしくお願いします。
ナイスゲームでした。ルイスの豪腕がうなり、1人で相手打線をねじ伏せました。打線も効果的に得点を重ねて、流れを引き寄せました。
ルイスの頑張りで、リリーフ陣に休養がもたらされました。今日、蓄えることができた体力と気力を明日以降の戦いにぶつけたいと思います。
いよいよ、市民球場での公式戦は残り1試合。長い歴史を持ち、数々の名場面を見守ってきたこの球場にふさわしいゲームをして勝ちたいです。
昨日までの緊張感溢れる日々とは打って変わった、穏やかな1日を過ごしました。
普段とは違う温泉施設へ行き、癒されました。
今日は休日でしたが、テレビや新聞、そして、何よりこのサイトを通して、ファンの皆様のカープに対する熱い想いを受け取りました。やはり、気持ちは野球から離れません。
市民球場での公式戦はあと2試合。そして、CS争いも佳境に入ります。チームの為に出来ることは何でもします。皆様も力を貸して下さい。
勝ちました!価値ある1勝です。
嫌なムードを吹き飛ばす栗原の逆転ホームラン。不安定な立ち上がりから立ち直り6回まで投げた齊藤。そして、もの凄いプレッシャーの中、あの強力なクリーンナップを抑えて1点差を守り切った永川。みんな凄いです。最後はブルペンで声をからして応援していました。
登録されてから、この7連戦、本当に長かったです。私は、2試合、打者2人しか投げていませんが、それでも心身共に消耗しました。久しぶりの1軍ということもありますが、やはりこの激しい3位争いの中で戦う緊張感がそうさせているように思います。しかし、その戦いの輪の中にいることをプロ野球選手として幸せに思います。
ひとまず、明日は体力と気力の回復を図り、明後日からの戦いに少しでも貢献できるように万全の準備をします。
残念な試合でした。声援に応えることが出来ず悔しいです。
私は、点差が離れてしまった場面で打者1人に登板して、アウトを取ることができました。次の回も投げるつもりでベンチ前でキャッチボールをしていましたが、打順がまわってきたので交代となりました。この1つのアウトを取る為にずっとファームでやってきたので感慨はありますが、今は個人的なことよりチームの勝利が欲しいです。
明日こそ。私も貢献できる場面があれば、死力を尽くしたいです。
延長12回引き分け。死力を尽くした闘いでした。
カープ黄金期のユニフォームの力、満員のファンの方々の熱い声援の力を借りて闘いました。勝てなくて残念なのか、負けなくて良かったのが、それは分かりません。ただ、凄い勢いで突き進んできた巨人の歩みを止めることは出来たと思うことにします。
復刻版ユニフォームの着心地は良かったです。試合前のロッカーでは、誰が似合う、誰が似合わないといった話題で盛り上がっていました。個人的には、普段からソックスが見えるスタイルで出場することがある、東出や梵、そして、がっちりした体型の栗原や石原が凄く似合っていたように思います。また、背番号2の東出は高橋慶彦さん、14番の篠田は背中の名前の最後が同じ「DA」で終わることから津田さんとダブって見えるとブルペンでは話題になっていました。応援スタイルも、往年の名選手の打席で使われていた曲が流れるなど、普段とは少し違う雰囲気がありました。幼少の頃からプロ野球に興味があった私にとってはとても懐かしいものでした。
市民球場での公式戦も残り僅か。この球場のムードを力にして、明日こそは勝利を収めたいです。
今日は、残念なゲームでした。確かに今の巨人には勢いを感じますが、だからと言って自分の力以上のことをしようとしてもいいことはないと思います。結果を考えずに、思い切って自分の力をぶつけることだけを考えたいと思います。
明日は、オールドデザインのユニフォームで戦うことになります。ユニフォームが変わるということは、大きな刺激です。気分を一新していきます。
今日の中日戦で5月以来の1軍登板を果たしましたが、打者1人に対してヒットを打たれて降板しました。どんな形でもアウトを取りたかっただけに残念です。
梅津が後続を抑えてくれたことには心から感謝しています。
やってきたことを信じて投げるしかありません。
快勝です。昨日の齊藤、そして、今日の前田健太。プレッシャーをものともしない若い力に脱帽です。チームをぐいぐい引っ張ってくれました。
そして、何よりこの市民球場の雰囲気、最高でした。大好きな市民球場のデーゲーム。その迫力はいつも以上で、初回の攻防をベンチで見守った私は、正直鳥肌が立ちました。カープファンの皆様の大声援がチームに大きな力を与えてくれたのは間違いありません。
監督は、昨日のミーティングで、大切な時期だからこそ、今まで以上のことをしようとせずいつも通り戦うようにと、平常心の大切さを強調しました。私も登板があれば冒頭の2人のように、平常心で臨めるように努めたいと思います。
今日、1軍登録されました。光栄です。
昨日の練習日の静けさとは打って変わって、大歓声に包まれた市民球場に興奮しました。久しぶりということもあり、ブルペンで座っているときの緊張感も強かったです。蒸し暑い天候も手伝って、汗をたくさんかきました。
何しろこの大切な時期です。とにかく勝って良かった。自分のことも大切ですが、それ以上にチームが勝つことが一番。登録された日に勝って、単独3位。本当に嬉しいです。
明日は、デーゲーム。私は、市民球場のデーゲームが好きです。明日もいいゲームをして勝ちたいです。
今日は、朝の新幹線で品川を出て、昼過ぎに広島に到着。そのまま市民球場に向かい、キャッチボール、ランニング等の軽めの練習を行いました。
今日は、全体練習は休みだったので、グランドに出たのは投手の数人のみ。明日からの大切な連戦を前にして、球場全体のその静けさが緊張感を増幅させました。
明日も1軍に帯同します。もし登録されたら、登板が増えている中継ぎ陣を助けられるようにしたいです。
今日は、朝、大野練習場に荷物を取りに行き、ファームの首脳陣に挨拶をした後、新幹線で東京に向かい、神宮球場での1軍の練習に合流しました。チーム事情で登録は見送られましたが、久しぶりの1軍の雰囲気の中で練習を行ったことは、大きな刺激になりました。
明日は、連戦後ということで、全体練習は休みですが、私は、昨日も休養をとっているので、広島に戻った後、市民球場で体を動かしたいと思います。
今後、登録があるのかは、今日のところは未定ですが、しっかりと準備をしておきたいと思います。
今日は、休養日。午前中は、温泉に行って体のケアをした後、午後は家族との時間を過ごして、疲れを癒しました。やや溜まっていた疲れも今日で完全に取れました。明日から、また全力投球でいきたいと思います。
遠征から戻ると、管理人さん経由で、皆様から寄せられた激励のメールをプリントアウトしたものが届けられていました。本当にたくさんの心のこもったメッセージを頂きありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。今季は期待に沿える働きができていませんが、諦めることなく努力を重ねていきますので、今後とも応援よろしくお願いします。
最後に、昨日の試合を実際に北神戸で観戦された方で疑問に思った方もいるようなので、私が投げている時に判定が覆った場面を振り返ります。
2死後、カウント2−2として、私は勝負球にフォークを選択しました。低めの意図したゾーンに落とすことができて空振りを奪いチェンジ。主審もその時点では、右手を上げてストライクのコールをしていたので、マウンドを下りました。しかし、何か様子が変です。主審が捕手からボールを受け取り、顔を近付けてチェックしています。そして、突然、「ファールボール!」とコール。判定は覆りました。理由は、「ボールにバットが触れた跡があるから」というもの。私は、多少疑問を感じましたが、審判の判定は絶対です。気持ちを切り替えて次の投球に備えました。非常に珍しいケースですが、判定が変わることはあります。今回は投球がショートバウンドして地面に落ちた時の音と、バットとボールがかすった時の音がほぼ同時だったので、審判も聞き分けるのが難しかったようです。審判も人間なので、こういったこともあります。それを含めて野球であると考えて、選手は、何があっても冷静に次のプレーに気持ちを集中させることが必要であると思います。
しかし、観戦された方からすれば、突然、判定が変わって何が起きたのか分からなかったと思います。やはり、観戦されている方の為にも、簡単でもいいので場内アナウンス等で説明してから、プレーを再開できたらよかったと個人的には思います。
今日も、北神戸でウエスタンリーグのサーパス戦が行われました。
試合は、2対5で敗れて、ここに来て非常に痛い3連敗。悔しい気持ちを携えて広島に戻ることになってしまいました。
私は、8回、2点を奪われてなおも無死1、3塁のピンチから登板して、代打の右打者をファーストライナー(ダブルプレー)、そして、次の左打者を三振に仕留めて、それ以上の追加点を許すことなくピンチをしのぐことができました。かなりラッキーな部分もありましたが、最後の三振には、多少の光明を見出だせたように思います。
ファームの残りは、18日のあと1試合。明日は、しっかり疲れを取って、試合にベストで臨めるようにします。
今日も、ウエスタンリーグのサーパス戦が北神戸で行われました。
試合は、3対17という屈辱的な大敗。この遠征は連敗となってしまいました。
私の登板はありませんでしたが、試合後の自主練習の時間にもブルペンに入り、調整を行いました。
明日は、何としても勝って、そして、登板があれば抑えて広島に戻りたいと思います。精神的にも厳しい日々が続いていますが、ここが踏ん張りどころであると思います。自分のやってきたことを信じて現状を打破します。
今日は、ウエスタンリーグのサーパス戦が北神戸で行われました。
試合は、3対6で敗れました。
私は、8回1点ビハインドの場面で登板しましたが、ヒットを許し、送りバントを決められたところで交代しました。
試合後、ファンの方々に対して、笑顔で接することができませんでした。すみません。それも含めて、自身に腹立たしさを感じています。
あと3試合。やるしかありません。
今日は、久しぶりになりましたが、市民球場の思い出についてのお話しをしたいと思います。
1998年9月27日。ドラフト指名を目指し、ドミニカ共和国から帰国して、ファームの秋季練習に参加していた私は、その日の練習を終えて、他の選手と共に市民球場に向かいました。この日は、尊敬する大野豊さんの引退試合です。
球場に着きました。その年、カープは優勝争いからは脱落していましたが、スタンドは満員です。私は、1年前の入団テストの際にグランド内に入りましたが、お客さんで埋まった市民球場に来たのはこの日が初めてです。私は、その雰囲気にただただ圧倒されました。レフトスタンドの上段の一部の横浜ファンを除いて、赤く染まったスタンド。グランドとスタンドの近さから感じる臨場感。チャンスの時にオーロラビジョンに映し出されるお好み焼き。私が、今まで行ったことのある首都圏のどの球場よりも一体感があり、熱気に溢れ、地域色が感じられ、みんなが心から野球を楽しんでいることが伝わってくる最高の球場でした。
「いいなぁー。市民球場。」
ネット裏の一番上の立見席に陣取った私は、思わず呟きました。
先発は、1月にドミニカで一緒に練習を行った黒田。期待された2年目は、ここまで白星がなく、苦しいシーズンを送っていたようですが、この日は違いました。大野さんの引退試合という特別な日、そして、満員のファンの前でこの男が燃えない訳がありません。強気の攻めで7回を1失点。その役目を充分に果たして、大野さんにバトンを渡しました。
8回。横浜の攻撃。場内に投手交代のアナウンスが響きます。
「ピッチャー大野。背番号24。」
リリーフカーに乗った大野さんが姿を現すと、スタンドは総立ち。この日いちばんの盛り上がりです。鳥肌が立ちました。
「かっこいい。」
またまた私は、呟いてしまいました。
大野さんは、マウンドで躍動していました。代打の中根さんに対して、立て続けに力強いストレートを投げ込み、最高球速は何と146キロ!これが引退を決めた人が投げる球なのでしょうか。信じられません。最後も140キロを軽く超えるストレートで空振りの三振。万雷の拍手を浴びながら、最後のマウンドを下りました。ご本人は晴れやかな表情に見えましたが、守っていた野村さんなどは、三振を奪う前から守備位置で涙を拭っているように見えました。大野さんがチームの中でどれだけ尊敬されていたのか、その様子を見ただけでもうかがい知ることができました。
その後、マウンドを受け継いだのは、これまた、自主トレ期間にドミニカで一緒に汗を流した新人の小林幹英。彼は、1月にその投球練習を見た野村さんが予言した通りの大活躍。新人王にも手が届くような働きを続けていました。この日も、プレッシャーのかかる中、堂々と最後まで投げ抜き、セーブを挙げてチームに勝利をもたらしました。
「みんな、かっこいい。俺も、カープのユニフォームを着て、市民球場のマウンドに立ってみたい。」
私は、最高のゲームを見せてもらったお陰で、カープのそして、市民球場の魅力に完全に引き込まれました。
試合後の引退セレモニーで大野さんは、
「我が選んだ道に悔いはなし。」
というあの有名な言葉を残して、グランドを去りました。セレモニーを見守ったカープファンのみならず、帰ることなく球場に残った横浜の選手、そして、横浜ファンの中にも涙を流している人が見受けられました。大野さんは、チームの中だけではなく全ての人に愛される凄い人でした。
セレモニー終了後、私は、他の選手と一緒にロッカーの前まで行き、幸運にも大野さんとお会いする機会を頂きました。
「今、カープのテストを受けている広池といいます。長い間、お疲れ様でした!」
私が、緊張の面持ちでそう言うと、大野さんは優しい笑顔で、
「ありがとう!君もこれから頑張れよ!」
としっかり目を見て言って下さいました。私みたいな者に対しても慌ただしい中、ちゃんと足を止めて丁寧に対応する、テスト生からはい上がった大先輩のそんな姿を目の当たりにし、私は、改めて大きな尊敬の念を抱きました。
私が、初めて観戦した市民球場での試合は、今でも強く心の中に刻まれています。晩年は、この球場のことを古いとか、狭いとか、言う人もいましたが、カープの投手である私にとっては、思い出の詰まった最高の球場です。特に、以前にも触れたことがありましたが、この日のようなデーゲームの雰囲気が大好きで、入団以来今日まで10年間、私の心を掴んで離しませんでした。中継ぎでの登板が多い私は、スタンド下のブルペンの中にいることが多く、登板しない限りその大好きな雰囲気を味わうことができません。そこで、デーゲームの際は、初回をベンチの中で過ごして観戦した後、スタンド下の通路を通ってブルペンへ向かう投手が多い中、私は、わざわざグランドの中を通ってブルペンに向かい、その空気に直接触れてパワーをもらうようにしていました。その効果もあって、市民球場のデーゲームでは、初勝利や初セーブに代表されるように、いい思い出をたくさん作ることができました。
ここからは、少し余談になりますが、数年前のオフの行事で顔を合わせる機会があった古田さん(ヤクルト)に、私はこう言われました。
「広池。ずるいよ。市民球場のデーゲームの時、お前のリリースポイント見えないよ。」
聞くところによると、プレートのいちばん一塁側を踏み、しかもややインステップしながら、スリークォーターで投げる私のリリースポイントは、右打者から見ると、完全にバックスクリーンからはみ出し、外野スタンドのお客さんの中からボールが出てくるような感じがして非常に見づらいそうです。特に、晴れた日に白い服装の人が多いと最悪であると言っていました。私が大好きな市民球場のデーゲームは、実はこんなところで力を貸してくれていたのです。驚きました。
市民球場ラストイヤーの今年、この球場での登板は4月以来ありません。何とかもう一度あのマウンドに立つ為にファームでやってきましたが、いまだその願いは叶いません。残り試合は少なくなりましたが、最後まで諦めずに今まで同様に、野球に励んでいこうと思います。今日も、長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。
今日は、由宇球場で練習を行いました。
野手は午前中に守備練習を行った後、昼からは徹底的に打ち込み。投手は、午後からの自主練習の時間を使って、各々の課題克服に汗を流し、有意義な時間を過ごしました。残りのゲームに向けて、チームは気合いが入っています。もちろん私も。明日も、いい練習をしてサーパスとの3連戦に備えたいと思います。
それでは今日は、「入団への道」の続きをお話しします。前回は、長かったドミニカ滞在を終え、飛行機に乗り込んだところまでお伝えしました。
飛行機は、3時間程で経由地であるニューヨークに到着しました。8ヶ月以上常夏の国で過ごした私にとっては、ニューヨークの秋の風は驚くほど冷たく感じました。今日は、空港に程近いホテルで一泊して、翌日の飛行機で日本に向かいます。
夕食は、私と同じ旅程で帰国する田中さんと、ホテル内のレストランで済ませることにしました。私達がテーブルに座ると、英語とスペイン語の2種類のメニュー表が用意されていました。ここニューヨークは、中南米の人達が多くいる為、特に、空港近くの施設にはこういった配慮があるようです。私は、スペイン語のメニューを手に取り、ウエイターにスペイン語で注文をしました。すると、ウエイターは、
「おー!!あなたは、スペイン語を使えるのですか!」
と凄く喜んでいました。どうやらこのウエイターも中南米出身で、アジア系の私が、スペイン語を話したことがとても意外であり嬉しいことだったようです。その後、ノリノリのウエイターのお陰で、とても楽しい時間を過ごすことができました。早速、ドミニカでの滞在が私に小さな幸せを運んでくれました。やっぱりドミニカへ行くことができてよかった。感謝です。
食後は、1人でホテルの庭に出て、目の前の滑走路を眺めていました。ニューヨーク・J・F・K国際空港は、とても大きな空港で、1年前まで航空会社に勤めていた私でも初めて見るような飛行機が、国内外へ向けて次々と飛び立っていきました。「飛行機が好きだから、飛行機のそばで働きたい。」という理由で全日空に入社した私にとっては、まさに絶景でした。「あの飛行機はどこへ行くのだろう。」そんなことを想像するだけで、ワクワクしました。いやがおうでも盛り上がる帰国へ向けての高揚感。それと同時に、ドミニカをついに離れたことへの寂しさが心の奥底に潜んでいることに気付き、私にとってドミニカがどれだけ大切な場所になったかを知ることになりました。ドミニカと日本との経由地で、両国への想いに浸りながら、私は、いつまでもいつまでもその場に留まり、飛行機を眺めていました。
翌日、遂に帰国の日を迎えました。朝の10時過ぎに空港に入り、手続きを済ませた後、ゲート近くで見慣れた「ANA」の飛行機を目にした時、何だか凄くホッとしました。そして、日本で行われる最後の厳しいテストへの恐怖心にも似た感情によって封じられていた帰国への想いが、このタイミングでドッと溢れてくるのを感じました。
「早く日本に帰りたい。そして、やってきたことを信じて、堂々と最後の勝負だ。」
私は、前向きな気持ちを取り戻し、機上の人となりました。
ニューヨークから成田までは、気流の影響もあり、行きより長い14時間を要します。私は、満席の狭い機内で、隣の人に触れることがないように大きな体を丸めながら、一睡もせずに起きていました。何度か眠ろうと試みましたが、興奮でとても眠れる状態ではありませんでした。
長い長いフライトを経て、飛行機はようやく成田空港に着陸しました。日本語の案内板があります。ここは日本です。遂に帰って来ました。私は、一緒に帰国した田中さんに丁重にお礼を言って別れた後、空港内の床屋さんに直行しました。ドミニカで苦労したことはいろいろありましたが、その一つがなかなか思い通りにならない髪型でした。ドミニカでは、住んでいたアパートの近くにある床屋に通っていましたが、何度説明しても、いかつい角刈りにされるし、
「もみあげはそのままにしておいて。」
と言っても、ちょっと油断した隙にバッサリ切り落とされるのは毎度のことで、正直怒りさえ覚えましたが、悪気はなさそうなので仕方ありません。まあ、別にオシャレなほうではないので、たいした問題ではなかったのですが、さすがに、角刈りが伸びて、黒いマリモみたいになった頭で日本の街を歩くわけにはいきません。ドミニカの床屋で苦い思いを重ねてきたので、成田空港の床屋さんは、日本語も話せるし天国のようでした。約30分後、私は何とか日本で通用する髪型に戻り、空港を後にしました。
帰国した翌日から3日間、私は、休みをもらっていました。休みの間は、家族に抱えきれないくらいの土産話をしたり、大好きなラーメン屋さんに行って、久しぶりのその味に涙したりして、心身共にリフレッシュしました。
迎えた9月23日。私は、いよいよ最後のテストを受ける為に広島に向けて出発しました。これから、ドラフトまでの約2ヶ月間、大野寮(ファームの寮)に住まわしてもらい、ファームの秋季練習とキャンプに参加します。夕方に寮に着いてすぐ、達川監督をはじめとするスタッフの方々、寮長、そして、何人かの選手に挨拶をしました。達川監督は、
「おっー!帰って来たか。いつから、練習するんだ?明後日からか。全部一緒にやってもらうからのう。お客さん扱いはせんけーの。」
私は、その言葉を聞いて身が引き締まる思いでした。それと同時に「お客さん扱いはしない」という言葉に大きな喜びを感じ、強い闘志が心の奥底から沸き上がるのを感じました。準備OKです。私は、今の精神状態ならこれから始まる大事な2ヶ月を乗り越えられると直感的に感じました。
翌日は、帰国の報告の為に、市民球場内にある球団事務所に出向きました。はじめは育成部へ行き、阿南さんと田中さんにお会いして、ドミニカでの話に花を咲かせた後、松田耕平オーナーの部屋に行きました。私が、緊張しながらも帰国の報告と施設を使わせてもらったお礼を済ませると、オーナーは、
「話は聞いてるよ。頑張ったね。頑張ったね。本当によく頑張ったね。」
と、優しい笑みを浮かべながら、私の労をねぎらって下さいました。心が温まるというのは、まさにこのことであると思いました。繰り返された「頑張ったね。」という言葉を聞く度に、私の心の中に、オーナーが愛してこられたカープへの熱い情熱が注がれていくのを感じました。オーナーに力を頂いた私は、ドミニカ行きを勧めて下さった松田元常務(現社長)にも同様に温かい言葉を掛けて頂いた後、幸せな気持ちで市民球場を後にしました。日本にも私のことを気にかけていた人がいることが分かり、私のやる気は頂点に達しました。
翌日、私は、秋季練習に合流しました。テスト生の為、大学時代の練習時に着用していた上から下まで真っ白なユニフォームでグランドに立ちました。監督、コーチ以下全員がカープのユニフォームを着ている中で、やはり相当目立っていて、若い選手に「25歳半人前。」などと茶化されて悔しい思いをしましたが、恥ずかしさはなく、逆に大きな反骨心が芽生えました。
「来年は絶対にカープのユニフォームを着て見返してやる!」
私は心の中でそう誓いました。
ファームはその時点で既に公式戦を終えていたので、翌年のシーズンを睨んで厳しい練習がスタートしていました。達川監督の「胃から汗が出るまで鍛え抜く」方針のもと、その練習は、前年とは比較にならないほどハードなものになっていました。午前中は永遠に続く走り込み。キャッチボールにたどり着くのは昼食後という厳しい毎日が続きました。ドミニカでやるべきことは全てやってきたつもりでしたが、やはり辛かったです。しかし、弱音は吐けません。私は、必死に毎日の練習に取り組みました。
今日は、ここまでにします。次回は、いよいよこのシリーズも最終回を迎える予定です。今回も、長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。
今日は、ウエスタンリーグのソフトバンク戦が、福岡市の雁ノ巣球場で行われました。
試合は、15対5で快勝。4回に一挙に9点を挙げるなど、打線が爆発しました。これで、ウエスタンリーグで優勝を決めたソフトバンクにこの遠征は2連勝。トータルの対戦成績でも勝ち越しが見えてきました。
私は、今日は登板なし。ブルペンでピッチングとキャッチボールを繰り返して終了しました。ウエスタンの残り試合はあと4。残り少ない登板でいい結果を残せるように集中して調整したいと思います。
昨日、ヤフードームで観戦した方で、お子様の声が集中力の妨げになったのでは?と心配されている方からコメントを頂きましたが、大丈夫ですよ。全く聞こえませんでした。マウンドの上では、集中しているので、ひとたびセットポジションに入ってしまえば、例えあの甲子園の大歓声であっても耳に入りません。それは、恐らく打者も同じであると思います。これからも、安心してお子様と球場に足を運んで下さい。ただし、ファールボールには充分に気をつけて下さいね。
今日は、ウエスタンリーグのソフトバンク戦が、ヤフードーム(親子ゲーム)で行われました。
試合は、6対2で勝ちました。
私は、4点リードの7回2死2塁で左打者に対して登板し、サードフライに打ち取って交代しました。点差があったので、「大胆に行け。」との指示を受けての登板でしたが、その後はズラリと右打者が並んでいたことから、ワンポイントでの登板が濃厚であると感じたので、やはり「絶対に抑えて交代したい。」という気持ちが強かったです。その結果、少し慎重になってしまいましたが、何球もファールで粘られた後、最後の最後に1番いいコースにスライダーが決まり、相手の体勢を崩すことができました。
成功の積み重ねが必要です。次も最善を尽くしたいと思います。
今日は、大野練習場で明日からの試合に備えて軽めの練習を行いました。
私も、キャッチボールやノック、ダッシュ等で汗を流して、上がろうと考えていましたが、
「広池!お前もペッパーに入れ!」
との声。若手捕手が左右に転がされたボールを切り返して追い続ける激しい練習に入ることになってしまいました。
「もっと、足を動かせ!!」
「35歳!?まだまだこれからじゃ!体のキレを出せ!」
ボールを転がす熊澤コーチの激を受けて必死にボールを追いつづけました。多少疲れましたがとてもいい練習になりました。明日からの試合で最近の練習の成果が出せるように、集中力を持って投げたいと思います。
さて、今日は、ご質問頂いたボールについてのお話をします。なぜ、投手は1球投げただけのボールの交換を要求することがあるのか?確かに、不思議に見えますね。そもそも、投手の中でも、ボールの形やフィーリングに非常に敏感な人と、あまりこだわらない人に別れます。私は後者です。フィーリングにこだわる人は、キャッチボールのボールを選ぶ際にも、たくさんあるボールの中から、一つ一つ手に取って時間を掛けて自分の好みに合うものを探します。
もちろん、「公認球」と呼ばれるボールは、しっかりと基準をクリアしたものなので、それほど大きな違いはありません。日本製のボールはとても出来がいいと思います。しかし、握ってみると、稀に歪みを感じたり、革の部分が滑りやすく感じたりすることがあるのも事実です。基本的にそういった時に、投手はボール交換を要求します。
私の場合は、傷がついたり、泥がついたりして余程投げづらくならない限り、ボール交換をしません。何球か投げたボールのほうが汗などで革の部分に粘り気が出てしっくりきますし、汚れたボールのほうが、新しい白いボールよりも、もしかしたら打者からは見づらいかも知れないし、打たれた時に飛ばないかも知れません。そんなことまで考えて、私は、審判から交換するか尋ねられても、恐らく8割くらいの確率で断っていると思います。
ボール交換を要求する時は、「滑りやすい」、「歪みを感じる」、「縫い目が高く(低く)感じる」等の感覚的な問題もありますが、実はメンタル的な要素も、大きなウエイトを占めているように思います。投げてみていい球が行けば、その投手にとっては「いいボール」であり、意図した球が行かなければ、投じたそのボールは、手に馴染まない「悪いボール」ということになると思います。その証拠に、ボールが傷んだ様子はないのに、投手が交換を要求するタイミングは、決して狙い通りのストライクを投じた後ではない筈です。また、審判は交換を要求されたボールが傷んでいないと判断すると、そのボールをボールボーイに返さず、こっそりポケットにしまい込むことがあります。つまり、そのボールは何球か後に、何食わぬ顔をしてニューボールとして戻って来るのです。エコですね。この審判の行為自体は正しいことであると思いますが、私の観察によると、再び戻って来た「ニューボール」を手にした投手が、すぐにさっき自分が交換を要求したボールであると気付いたという例は
ありません。この話からも、ボールの交換にはメンタル的な要素が多く含まれていることが分かって頂けると思います。
あと、必ずボールが交換されるのが、デットボールや自打球などで、ボールが選手の体に触れた場合です。こういった時は、必ず審判の方が交換します。詳しい理由は分からないので、今度聞いてみようと思いますが、何となく、選手に痛みを与えたボールを再び手にするのは、あまりいい気分ではありません。もしかしたら、そんな気分に配慮しての交換なのかも知れません。
今日は、「ボール交換」に関して、随分話が弾みました。やっぱり野球は面白いです。明日からも、頑張ります。
今日は、由宇球場で練習を行いました。
午前中は通常通り、キャッチボールやノック等を行い、午後は、ランニングや体幹トレーニングが終了した後の自主練習の時間に、サブグランドの「鳥かご」というネットに囲まれたスペースでマシンを相手にバッティング練習を行いました。目的は、体のキレを出すことと、ピッチングにも共通する下半身の動き等の確認です。また、私は、大学時代までは野手だったこともあり、ボールの芯を捕らえた時の感触がとても心地よく、いい気分転換になりました。
スイングを繰り返していくと、次第に軸足のふくらはぎの辺りが張ってきました。安定したスイングをする為に、軸足のスパイクの刃でしっかりと地面を噛んで力を溜めるという動作を体はまだ覚えているようです。
考えてみると、ピッチングではここまで軸足が張ることはありません。今日、打撃練習をしたことにより、今の私の投球フォームに足りない部分が見えたように思います。
その後も、もう少しバッティングを続けて、その下半身のいい動きを体に染み込ませようとしましたが、突然強い雨が降り出した為、慌ててボールを片付けて、マシンにカバーを被せて撤収しました。しばらくして雨が止んだので、ボールを出して、再度マシンをセットしようとすると、今度は、近くの山の木々の葉を打つ激しい雨音が聞こえてきました。
「撤収!撤収!」
私は、またまたマシンにカバーをして、ボールをしまって、慌ててその場を離れました。二度に渡るにわか雨でグランドは水浸し。私達は由宇での練習を諦め、大野練習場に戻って来ました。天候には逆らえません。「手や指に負担のあるバッティングはほどほどに。」ということだったのでしょうか。これから、大野でバッティングで得た軸足の粘りを確認しながら、少しキャッチボールをしようと思います。
今日は、由宇球場で阪神との練習試合が行われました。
私は、ベンチ入りせずに、午前中に、キャッチボールやノック、100メートル走などで充分に汗を流して、試合中は観察と応援に徹しました。
8月の下旬に、一時期涼しくなりましたが、最近はまた暑くなり、今日は、真夏を思わせるような気候でした。そんな中、球場に足を運んで熱心に応援して下さる方々には、本当に頭が下がる思いです。そして、練習後や試合後に激励の言葉をかけて下さった方々、本当にありがとうございました。このブログを見て下さっている皆様を含め、私を応援して下さっている人がいることを再認識して、自らを奮い立たせなければなりません。
いろいろ考えても仕方ありません。やるべきこと、フォーム的なチェックポイントを絞り込み、今までやってきたことを信じて、私の持っている闘志を全て出してグランドに立ちたいと思います。
今日は、由宇球場でウエスタンリーグの阪神戦が行われました。
試合は、4対6で逆転負け。悔しい星を落としてしまいました。
私は、1点ビハインドの8回に登板して、1点を失いました。
左打者に対しては、昨日の対策通り、内と外の揺さぶりで三振を奪うことができましたが、右打者に対して、ゴロを打たせる投球ができませんでした。
もっと低めへの意識を強め、持ち味を出せるようにします。
今日は、由宇球場で練習を行いました。
私は、ピッチングを43球。その後、ノックやダッシュでしっかり汗を流した後、自主練習の時間に強めのキャッチボールを多めに行い、フォーム固めを行いました。明日からは、試合です。登板があれば、大切にそのチャンスを生かしていきたいと思います。
昨日の、巨人戦を観て、左の強打者をどう抑えるかが、勝敗の鍵を握っていると感じました。そして同時に、左打者を抑えることができる投手が求められているということも当然強く感じています。
ナイター観戦の後、私は、昨年の交流戦のロッテ戦で自身が登板している場面をビデオで見ました。そこには、左の強打者、福浦選手との対戦で、ひざ元にシュートを繰り返し投じてファールを打たせた後、外に逃げるボール球のスライダーで空振りの三振を奪った場面がありました。これです。内と外の揺さぶり、内に切れ込む球と外に逃げる球。このような投球ができれば、私は、左を抑えられる投手です。
今は、左投手だからといって左打者が苦手意識を持ってくれる時代ではなくなりました。右投手でも左投手でも、左打者が嫌がる球を持っている必要があります。私の場合、内のシュートとひざ元に落ちるフォークが、外の球を遠く感じさせる厄介な球であると思います。もちろん今までも分かっていたことではありますが、最近は、結果を求めるあまり、安全な外の球が多くなっていたように感じます。今回、内角の重要性を再認識したことで、今後、試合の中でより積極的にその球を用いて磨きをかけ、内容のある打ち取り方をすることで、左打者に強い投手であることをアピールしていきます。
今日は、由宇球場で練習を行いました。
私は、ブルペンに入らず、ノックや坂道ダッシュ、そして、キャッチボール等で汗を流しました。今日は、目立って首脳陣にアピールする機会はありませんでしたが、充分に自分の為の練習はできたと思います。明日は、ブルペンに入って、低めへのコントロールを意識して投げ込みたいと思います。
話は変わりますが、私は、大相撲のファンです。そのファン歴は長く、小学生のときからで、その頃、幾度となく繰り広げられた、千代の富士と隆の里による千秋楽、横綱相星決戦を固唾を飲んで見守ったものです。古くは、蔵前国技館、最近では、一昨年の九州場所に足を運び、生の取組の迫力を味わいました。特に、好きな力士がいるという訳ではなく、取組の迫力や技術的な攻防、そしてその独特な文化に酔いしれるファンなのですが、強いて挙げれば、栃乃洋関のような自分の型を持った地力のある力士が好きです。栃乃洋関は、私と同学年のベテラン力士でありながら、豊富な稽古量を維持し、立ち合いでは愚直なまでに真っ向から当たり続けます。そんな相撲に対するひたむきな姿勢に魅力を感じます。大相撲を語り出したら止まらないくらい好きなのですが、その相撲界が今、揺れています。マスコミ報道でご存知の方も多いとは思いますが、先日の元若ノ鵬に続いて、またもやロシア人の2力士から大麻の陽性反応が出ました。本人達は否定しているようですが、状況は予断を許しません。近年の外国人力士の台頭を快く思わないファンもいるのも事実ですが、私は、日本の国技に携わる者として、その心を理解することができれば全く問題ないと思っていましたし、全く異質の文化の中で必死に頑張る姿を見て、むしろ応援したい気持ちを強く持っていました。しかし、裏切られました。いつか、私の大相撲好きをこのブログの中で紹介しようと思っていましたが、このタイミングで発表しなければならないことをとても残念に思っています。カープの中でも自他ともに認める、一番の大相撲ファンでしたが、これからは、胸を張って相撲の話はできません。角界はこのところ問題続きです。どうかこれ以上、ファンを落胆させることのないように、今度こそ本気で立て直しを図って欲しいと思います。
今回の一件で、ファンが応援していた者の反社会的な行為によってどれだけ傷つくのか身を持って体験することになりました。野球界もこれを他人事と思わず、今一度気を引き締めて、社会人としての教育の徹底、そして、何より社会的影響力の大きさを踏まえた、選手個人の自覚ある行動が必要であると強く感じました。
今日は、由宇球場でウエスタンリーグの中日戦が行われました。
試合は、6対2で勝ちました。
私は、ブルペンで左打者に合わせて肩を作りましたが、打順の巡り合わせもあり、残念ながら登板はありませんでした。
ファームのメンバーは、昨今の登録選手の入れ替えで、先発投手はやや手薄になりましたが、その分、野手の顔触れを見ると、層が厚くなったように感じます。残りは、わずか7試合になってしまいましたが、2位キープは充分に狙えそうです。個人的には、ファームとはいえ、試合をやるからには勝つほうがいいに決まっていますし、ひとつでも上の順位を目指すべきであると思います。そして、ここでの活躍、チームへの貢献が一軍への道となります。
まずは、首脳陣に「こいつを使おう」と思ってもらうことが大切です。勝負は練習から始まっています。私も、1試合でも多く登板する為に、そして、そこで結果を残す為に、まずは、練習からどんどん目立っていこうと思います。
今日は、2週間ぶりに完全休養して、疲れを癒しました。それでは今日は、書き溜めておいた「入団への道」の続きを投稿します。
前回は、チームメイトの信頼を取り戻す為に、体調がすぐれない中必死に投げ抜き、2度目の完封勝利を収めたところまでお伝えしました。
苦しい中でも結果を残すことができたこと、些細な口喧嘩が原因で失いそうになったチームメイトとの信頼関係が無事に修復できたことで、精神的に上向きました。それに伴って、体調も回復。8月に入ってからは、相変わらずの暑さの中でも以前のように明るく元気良くグランドに立てるようになりました。
しかし、一難去ってまた一難。私は、左の脇腹を痛めてしまいました。痛みを覚えた翌日の試合は、相手チームの力不足もあり、15個の三振を奪い、86球という少ない球数でドミニカに来て3度目の完封勝利を飾り、さらに、中6日で登板した次の試合は7回無失点でドミニカに来て10勝目を挙げましたが、その後、痛みは悪化。ついに、しばらくの間、ノースローを強いられる事態となってしまいました。
「大事な時期なのに何故こんなことに・・。」
さらに、運が悪いことに、私の日本への帰国の日程が当初よりも1ヶ月程早まり、9月17日にドミニカを出国することに決まってしまいました。どうやら早めに帰国させて、ファームの秋季練習に合流し私の力を見極めることになったようです。私は焦りました。
「もう1ヶ月も残っていない。帰国した時に、投げられませんなんて言える訳がない。」
とにかく治して投げられるようにするしかありません。毎日、祈るような気持ちで過ごしました。少し痛みが引いてからは、ランニングやウエイトトレーニングなどをできる範囲で黙々とこなしました。そんな、私の姿を見て上之さんは、
「浩司、焦っちゃ駄目だ。まずは、治すことが最優先だぞ。」
と繰り返し言い、平山さんは、
「大丈夫。大丈夫。あんなに頑張って来たじゃないか。きっといいことがある。大丈夫。」
と、励ましてくれました。一方、田中さんは、
「そんな怪我はたいしたことない。唾つけときゃ治るよ。」
と意に介さず、軽めの練習しかできない為、時間を持て余している私をつかまえて、野球に関する様々な話をしてくれました。その内容は、捕手出身ならではの配球論から、練習方法に至るまで多岐にわたりましたが、1番印象に残っているのは、
「投球フォームに個性があるのは当たり前。結局のところは、自分の投げやすい投げ方で勝負するのがいちばんいい。それに、観ているほうも、みんなが教科書通りのフォームで投げていたらつまらんじゃろ。」
という言葉でした。この言葉は今でも私の心の中にあり、迷った時にひとつの支えとなっています。
三者三様の励ましを受けながら、私は怪我の回復に努めましたが、志願して登板した9月1日の練習試合が原因で軽い肩痛まで併発してしまい、再びノースローの日々を送ることになってしまいました。試合での登板に最後まで反対した上之さんに顔向けができず、迫り来る帰国の日のことを考えると、強い絶望感に襲われました。もう本当に休むしかありません。ちょうどこの時期に、わざわざ日本から応援に来てくれた、大学時代の野球部の同級生に元気なところを見せられなかったことも私の気持ちを更に暗いものにしました。
練習メニューは限定され、鬱憤は溜まりましたが、それを少し発散させてくれたのが水泳でした。ある日、泳いでも痛みが出ないことに気付き、2時間ぶっ続けで泳ぎ続けました。冷たい水がほてった患部を冷却し、癒してくれているような感じがして気持ちが落ち着きました。
上之さんも、私を気遣って車で観光に連れ出してくれたり、家に招いて奥さんが作った日本料理を食べさせてくれたりしました。本当に有り難かったです。
上之さんをはじめ、周りの人達の支えのおかげで、私の体は徐々に回復していきました。効果を実感して以来、毎日続けた水泳も、怪我の回復と体力の維持に一役買いました。
そして、最後の登板から8日目の9月9日。私は軽いキャッチボールを再開しました。痛みはほとんどなく、慎重に段階を踏んでいけば、帰国後の秋季練習時には投げられるようになるような気がしてきました。
迎えた9月11日。この日は、日本に練習生として派遣されるドミニカ人選手が発表される日です。ドミニカ人選手がカープとの正式契約にこぎつける為には、まずは、このメンバーに選ばれて秋季練習とキャンプで力を認めてもらう必要があります。また、この日が終わるとアカデミーはしばらくの間休暇に入るので、日程上、私がアカデミーのみんなと練習をするのは最後となります。
朝から私は、極力たくさんの選手に話しかけて会話を楽しみました。特に、ドミニカに来て以来、キャッチボールやランニングなどのメニューを共にし、一番仲良くしてくれた、アバ投手とは、いつも以上にいろいろな会話をしました。アバはとても性格が良く、異国の地で野球をする私を気遣って、常に明るい笑顔で接してくれました。グランド上では日本人は私一人であり、特に最初の頃、言葉の違いや練習方式の違いに戸惑っていた私を助けてくれたのが彼でした。
練習はいつも通りに進んでいるように見えましたが、練習後の日本行きの選手発表の時間が近づくにつれ、主力選手の間には、明らかにいつもとは違う緊張感が漂っているように感じました。アバも少しずつ無口になってきました。私は、口には出しませんでしたが、心の中ではアバが選ばれてくれるように願っていました。そして、ついに最後の練習メニューが終わり、シャワーを浴びた後、選手は皆、寮のロビーに集まりました。
私は、てっきりみんなの前で渡日選手の発表が行われるのかと思いましたが、そうではなく、選手が個別に部屋に呼ばれて、首脳陣から今後の契約の件も含めて説明を受けてロビーに戻って来るという形でした。
ロビーは、張り詰めた空気に包まれていました。部屋から戻って来た選手の中には、願いが叶わず悔し涙を流す選手もいました。日本へ行ける選手はごく少数です。アバも残念ながらそのメンバーに入ることはできませんでした。しかし、彼は涙を流すことはなく、私に言いました。
「HIROIKE、日本へ行っても頑張って。本当に頑張って。幸運を祈ってるよ!」
こんな状況で人のことを気にかけるなんて本当にいい奴です。私達は固く握手を交わしました。その後、ロビーにいた全選手に別れの挨拶をして、握手をしました。考えてみると、ここにいるほとんどの選手とは、今日が一生の別れとなります。私が、ほぼ地球の真裏の日本へ戻ってしまえば、会うことはもちろん連絡することもできません。今日まで毎日のように顔を合わせてきた仲間ともう二度と会うことができない。そう思うととても切なくなりました。
私は、全ての選手が帰るのを見送り、最後に上之さんとロビーを出ました。
「上之さん。自分は恵まれていることが分かりました。願いの叶わなかったみんなの分もこれから頑張ります。」
一連の出来事を目の当たりにした、偽ざる気持ちが口をつきました。
「そうだな浩司。これからが勝負だぞ。」
私達は車に乗り込み、アカデミーを後にしました。
2日間の休養を挟んで、ドミニカでの残された練習日はたったの3日間。キャッチボールを再開してからまだ日が浅いので、どこまで仕上げて日本に戻ることができるのか。非常に重要な意味を持つ3日間です。
その1日目。6割くらいの力でキャッチボールをして、復活への手応えを掴みました。
2日目。2週間ぶりのブルペン入り。立ち投げのみではありましたが、痛みは全くなく、球にキレもあり一安心。
そして、ドミニカ最後の練習日。9月16日の私の日記にはこう記されていました。
[最終日。久しぶりに全力でピッチングをした。不安なし。ストレートの力、変化球のキレ、コントロール。その全てがドミニカに来て最高だった。今までやってきたこと、自分の想い、そして私をここで支え続けてくれた人達の想いが、最後の最後に形になったように思う。間に合った。帰国へ向けて準備は整った。ドミニカとも明日でお別れ。住み慣れた感じさえするサント・ドミンゴの街から離れるのが寂しい。見慣れた青いカリブ海ももう見ることはできない。いろいろあったが、ドミニカはとてもよいところだった。ここで過ごした時間は、一生の財産だ。さあ、日本へ。夢に向かって全力投球だ。]
ドミニカでの滞在も残り数時間。私は、日付が変わっても尚、荷物を整理したり、部屋の掃除をしたりしながら、物思いにふけっていました。まずは、怪我を克服して、いい状態で帰国の日を迎えることができたことに対し大きな安堵感を覚えました。振り返れば、比較的順調だった中盤までと比べて、終盤は体調不良や怪我が重なり苦難の連続でした。しかし、ここでの苦労した経験が、その後の怪我や病気とは無縁の強い体を作り上げたように思います。
ドミニカに来ることができて本当によかったと思っています。何より、投手経験のない私が、多くの実戦登板を経験することができました。30試合、120イニングを投げた経験が、初心者同然の私にとってどれほど大きなものだったか。また、暑い中での走り込みやウエイトトレーニングの成果が出て、2年近く本格的な運動から離れていた為に鈍っていた体をプロのレベルまで引き上げることに成功しました。もし、私がドミニカに来ることなく、プロ入りしていたらどうなっていたでしょうか。恐らく、周りのレベルについていけず萎縮し、周りに追い付く為に無理をして、心にも体にも大きな傷をおって、選手生命を縮めていたことでしょう。ドラフト指名されなかった為に来ることになったドミニカですが、私には、必要不可欠なステージでした。それは、決して遠回りではなく、長く野球を続ける為の最短距離であったように思います。
帰国の日を迎えました。空港まで見送りに来た上之さんは、今まで見たこともないくらい寂しそうな顔をしていました。小柄な体が、いつもよりさらに小さく見えました。普段ならシャキッと伸びている筈の背筋が、今日は心なしか丸まっていました。
「上之さん。本当にありがとうございました。お世話になりました。」
私は、もっともっと色々なことを言いたかったのに、感極まって当たり前のことしか言えませんでした。
「浩司。よく頑張ったな。お前さんの頑張る才能は誰にも負けない。夢は叶う。自信を持っていけばいい。」
上之さんも、いつもとは少し違うゆっくりとした口調で話しました。
「はい。必ずいい報告ができるように頑張ります。あの・・。日本に着いたら必ず電話します。」
「うん。待ってるぞ。」
「ありがとうございました・・。本当に・・。ドミニカで最後まで頑張れたのは上之さんのお陰です。また、必ずお会いしたいです。その時までに、もっと成長しておきます。」
「うん。楽しみにしてるぞ。わしも浩司の成長を見るのが楽しかった。ありがとう。」
私は、上之さんと固く握手をして、飛行機に向かう改札を通り、もう一度振り返って、深々と頭を下げました。この瞬間に今まで堪えてきたものが、一気に溢れそうになりましたが、ぐっと我慢して、笑顔を作って手を振りました。上之さんも笑顔でしたが、確かに目に涙が溜まっているように見えました。私は、振り返って飛行機に向かうボーディングブリッジを歩き始めましたが、ついに涙を堪えることができなくなり、俯きながら飛行機に乗り込みました。
私のドミニカ共和国での生活は、上之さんをはじめとした周りの人達の支えがあったからこそ成り立ちました。野球の技術的な成長、体力面での成長、異国の地での生活により培った精神面での成長、そして、たくさんの人に支えられて生きたことによって生まれた感謝の心。8ヶ月以上に及んだドミニカ共和国での生活は、私に様々なものを与えて、ここに幕を閉じました。経由地ニューヨーク行きの飛行機が、ゲートを離れ離陸する時、心の中で、でも体温の上昇を感じる程の大きな声で、「ありがとう!」と叫びました。
今日は、ここまでにします。長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。