2008年4月アーカイブ

今日も、ナゴヤ球場でウエスタンリーグの中日戦が行われました。
今日は、守りにミスが出て、その後、投手も踏ん張ることができず失点を重ねる展開となり、最終回の追い上げも届かず敗れ、チームの連勝は7で止まりました。
私は、1イニングを打者3人で打ち取りました。右打者3人との対戦でしたが、昨日思い描いた通り、いろいろな球種を低めに集めて、力むことなく投げることができました。
今取り組んでいる、新しいスライダーも、3球投げて1球は抜けましたが、あとの2球は効果的に低めに決まりました。打者の反応を見ても、いい軌道で変化している感じがあるので、モノにする為に、試合で多めに投げていきたいと思います。
最近、どこへ行っても、ファンの方々から「ブログ読んでます。」という声を多く耳にするようになりました。それは、ここ名古屋でも例外ではありません。今日は、登板時に私の名前がコールされマウンドに登ると、球場にいる誰もが聞こえるような大きな声で、「広池、ブログ読んでるぞー!」と声援をくれたファンの方がいました。さすがに、ちょっとだけ恥ずかしかったですが、私のブログを読んで下さる人の多さを改めて知る結果となりました。これはとても嬉しいことです。これを励みに、野球のほうの状態を上げていきたいと思います。

今日は、ナゴヤ球場でウエスタンリーグの中日戦が行われました。
私の登板はありませんでしたが、試合は今日も勝ちました。ファームは育成、調整の場であり、勝敗は二の次という考え方もありますが、試合である以上、勝つほうが良いに決まっています。
負けている試合より、勝っている試合での緊張感の中でプレーするほうが、いい経験になると思いますし、1軍でプレーしたときに、その経験が少なからず役に立つと思います。
そういった意味では、ファームであっても、試合に関しては、勝ちにこだわるというのも一つの考え方だと思います。ただ、試合の為の調整はさほど必要ないと思います。ガンガン練習して、残った体力で試合を全力で勝ちにいく。このスタンスがいいのではないでしょうか。
私の体調も戻ってきました。走り込み等の練習も再開して、再び土台作りに励んでいます。技術的には、スライダーの修正に取り組んでいます。投球の際に、今までよりも左腕を体の近くを通して、前で放すイメージを持って、キレとコントロールをつけていきたいと思います。
登板があれば、決して力任せになることなく、改良中のスライダーも含めた、いろいろな球種を丁寧に投げて、内容の伴った投球をしたいと思います。

今日は、午前中に大野練習場で練習をした後、名古屋へ移動です。移動の時間があるので久しぶりに、入団への道の続きのお話をさせて下さい。前回は、4月17日の更新分で、ドミニカ(共和国)行きが決まり、選手契約の可能性が復活したところまでお伝えしました。
私は、12月を埼玉の実家で過ごしました。キャンプ参加により、動くようになった体をなまらせない為に、トレーニングは続けました。
最初は、突然の全日空退社、プロテスト受験という事態に戸惑っていた家族も、元々は野球に対する理解があるので、その頃には、心から応援してくれました。特に、小さい頃、私を野球に導いた父と、私の影響もあってか野球好きになった姉は、私のプロ挑戦を喜んでいるようでした。
ちょうど1年前、帰省客でごった返す羽田空港で接客に追われて大忙しだったのとは対象的な、静かな年末年始を過ごすと、いよいよ出発の日がやってきました。
1998年1月8日。私たちは、成田空港を11時出発のニューヨーク行きの飛行機で日本を離れました。日本からドミニカ共和国への直行便はないので、米国を経由していきます。
一緒に旅立ったのは、白武スカウトと、トレーナー、ドミニカのアカデミー担当の社員、そして選手は、新人の遠藤竜志、小林幹英、1年目から6勝を挙げ、飛躍を期待される、2年目の黒田博樹でした。球団からすれば、期待の投手ばかり。温かいドミニカでしっかり肩を作って、キャンプ、オープン戦でしっかり投げてもらう為の自主トレでしょう。そんな中に、テスト生の私も少しだけ仲間に入れてもらうことになりました。
約12時間の長いフライトの間、私はつくづく思いました。
「よく、ここまで来た。やはり、いちばん最初の市民球場での入団テスト。あの日の奇跡があったからこそ全てが始まった。しかし、今になって思えば、あの日の奇跡は、学生時代、野球に対して全力で取り組み、野球に全ての情熱を傾けたからこそ起きたのではないか。そうだ、全てが偶然な訳ではない。だから胸を張っていこう。さあ、頑張るぞ。大きなチャンスを掴むために。」
私たちは、ニューヨークの空港近くのホテルに1泊し、翌日にドミニカ入りしました。
ドミニカはとにかく暑い。一応北半球なので冬のはずなのですが、真冬の日本からやってきたこともあり、その温度差には驚きました。空港から滞在予定のホテルまでは、カープアカデミー所有のマイクロバスで向かいました。窓からは、見たこともないくらい青いカリブ海と、どこまでも続く熱帯雨林が見えました。
「凄いところだ。こんなところにずっといたら性格が変わりそうだ。」
練習は翌日から始まりました。初めて訪れたカープアカデミーはとにかく広大でした。試合ができるグランドが2面、内野守備練習が可能なサブグランド、屋根付きのブルペン、打撃練習が可能な室内練習場、ドミニカ人選手が寝泊まりする宿泊施設と、広い食堂。そして、各施設の周りに広がる大きな草原。その草原には山羊が放し飼いされ、のどかな雰囲気を醸し出します。さらに、その草原の外側にアカデミーをぐるっと1周する、「外周」と呼ばれる道があって、投手がランニングに使っていました。
カープアカデミーの選手たちは、その日、試合をやっていました。もう一つのグランドは、ボストンレッドソックスのアカデミーに貸しているらしく、あの伝統のユニフォームを着た選手たちが、練習に励んでいました。
幹英、黒田、遠藤、そして私の4人は、初日ということもあり、サブグランドでキャッチボールやランニング等の軽めの練習で引き上げました。それでも、眩しい日差しと、暑さのせいでみんな汗びっしょりでした。
ホテルに戻った、午後のことでした。部屋の電話が鳴りました。
「もしもし、広池さんですか?黒田です。ちょっとプールへ行きたいんですが、日焼け止めを持っていませんか?」
黒田とまともな会話をしたのは、これが初めてでした。空港で会ったときや、グランド上では挨拶程度で会話はありませんでした。
当時の私にとって、黒田は憧れのプロ野球選手。全日空に勤めていた時に、テレビでたまたま黒田の東京ドームでの初勝利を目撃して以来、注目していた選手でもありました。
私は、電話が掛かって来たこと自体嬉しかったし、プロ野球選手が私の存在を認め、名前を呼んでくれたことが不思議な感覚でした。この文章を読んで下さっている皆様なら、この感覚を分かっていただけると思います。
幸運なことに、私は日焼け止めを日本から持参していました。
「日焼け止め持ってるよ。今からそっちの部屋に持っていくよ。」
「いえ、自分が取りに行きますよ。」
「いいよ、いいよ。俺が持って行くから、部屋に居て。すぐに行くから。」
「わかりました。じゃあ、お願いします。」
私は、日焼け止めを持って大急ぎで黒田の部屋に向かいました。
日焼け止めを手渡すと、今では考えられないくらい丁重に礼を言われました。まあ、ほぼ初対面だし、私のほうが年上なので、当然なのですが・・。話を聞けば、黒田自身が持っていた外国製の日焼け止めを、午前中の練習で塗ったところ、肌に合わず困っていたそうです。私が持って行った日焼け止めが日本製であることを知るととても喜んでいました。
私は、プロ野球選手の役に立てたことが、嬉しくてたまりませんでした。部屋に戻って、日本製の日焼け止めをドミニカまで持って来た自分を自分で褒めてやりした。
「よくやった。でかしたぞ!」
その日の夜は、選手だけでホテルのバイキングで食事をすることになりました。途中までは、何事もなく食事は進みましたが、黒田がジュースのあるコーナーに行った時に事件は起きました。黒田がそのコーナーにいた係員にジュースをくれるように、ジェスチャーを交えながら頼んでいますが、係員は一向にジュースをコップに注ごうとせず、黒田に向かって一生懸命何かを説明しています。ドミニカ共和国の公用語は、スペイン語です。現地に着いて2日目の私たちにとって、それはまさに未知の言語。何を伝えたいのか、想像がつきません。英語なら何とか乗り切れるかも知れないと思って、チャレンジしてみましたが、全く通じません。一同困惑していると、黒田が怒った口調で言いました。
「もういい!自分は帰ります。飯くらいちゃんと食わせろよ!」
黒田は、帰ってしまいました。私は、とても残念に思いました。せっかくの楽しい時間が、コミュニケーション力の不足で台無しになりました。私は、考えました。
「もうこんな思いはしたくない。早くスペイン語を身につけよう。帰るまでには、簡単な日常会話くらいはできるようにしよう。」
私は、部屋に帰って早速、日本から持ってきた、「スペイン語入門」の教材を開きました。CD付きだったので、これまた持参した小さなステレオを使って、発音の練習もしました。
「いずれにしても、2月からは、選手は自分1人だ。少しくらい理解できるようにしておかないと、野球にも支障を来たすぞ。」
それから、毎日、少しずつのスペイン語の勉強も私の日課となりました。
それにしても、黒田。後で振り返ると、気が短いですね。郷に入れば、郷に従うべきです。ここに来た以上、スペイン語が理解できなかった私たちが悪いのです。後日、わかったことなのですが、あの時、ジュースコーナーにいた係員は、そこに置いてあるジュースを飲むには、お金がかかるので、現金にするか、部屋付けにするかを聞いていたそうです。それなら、金額を明記したメニュー表でも準備しておいてくれれば、何となくお金がかかることくらいは理解できたはずなのですが・・。でも、それこそが日本人的な感覚であって、南国特有の、おおらかで、のんびりとした性格のドミニカ人にこういった感覚を押し付けてはいけないのです。
黒田が、メジャーリーグに挑戦すると聞いたとき、すぐにこの「ドミニカ・ジュース事件」を思い出して、大丈夫かな?と思いました。野球の実力は文句なしですが、海外での生活面で苦労しないか心配しました。しかし、それは杞憂に終わりそうです。私の心配をよそに、名門ドジャースの先発投手として、立派にその役目を果たしています。考えてみれば、もうあれから10年もの月日が流れています。野球選手としてだけでなく、人間としても、ひと回りも、ふた回りもスケールアップしたのでしょう。流石です。これからも、大舞台での奮闘に、注目していきたいと思います。
名古屋に着いたので、今日はここまでにします。私も、黒田の奮闘を励みに、精進していきます。

今日は、尾道でウエスタンリーグの阪神戦が行われました。チームは4対3で今日も勝って、6連勝です。
私は、8回1点リードの2死無走者から登板して、打者2人に対して、1安打1奪三振の無失点でした。
出て行っていきなり左に打たれているようでは、話になりません。
苦しい1週間でしたが、内容はともかく、今日、登板したことで、小さな一歩ですが踏み出すことができたような気がします。
睡眠もとれるようになってきました。悔しさは薄れていませんが、疲れがそれを上回ったようです。
間もなく、尾道を出たバスは、大野練習場に到着します。到着後は、上半身のウエイトトレーニングをして、家に帰りたいと思います。
明日は、大野練習場で練習した後、名古屋へ移動です。練習は短めになるとは思いますが、私にとって無駄にできる日なんてありません。やるべきことに全力を尽くしたいと思います。

今日も、由宇でウエスタンリーグの阪神戦が行われましたが、前田健太が完投した為、登板はありませんでした。
選手とスタッフは試合終了後、明日、試合のある尾道行きのバスと、大野練習場行きのバスに分乗して由宇を出ました。私は、明日もベンチ入りしているので、尾道行きに乗っています。明日の試合に参加しない選手は、大野練習場に残って練習です。
私は、ファームに合流して3日目ですが、近年にないくらい競争が激しいですし、成績もいいです。今日も勝ったので、これで5連勝。そして、ウエスタンリーグの首位に立っているとのことです。
そのいちばんの要因が、選手の数の多さでしょうか。野手は今日も、井生など数人が試合に参加せず、大野練習場に残って打ち込みをしていますし、試合に出ていても、凡ミスをすれば、すぐにベンチでスタンバイしている選手と交代させられています。これも、選手の数が充実しているからこそ、なせる業なのでしょう。
投手のほうも、それは同じです。試合のメンバーに入っていない投手や、入っていてもほとんど出番のない投手がたくさんいます。そういった投手は、試合のない日に、シート打撃に登板して、自軍の打者と対戦して実戦感覚を養っているそうです。
少し前に比べると、随分、状況が変わっています。私が、ファームで先発をしていた4、5年前は、投手、野手ともに選手の数が不足して、時期によっては試合をするのがギリギリの状態のときがありました。
そんな時は、捕手が外野を守ったり、投手に代打が出せないので打ってから代わったりいろいろなことがありました。
体力自慢の私も、フル回転で、中3日で回って完投したりして、6月にして早くも規定投球回数に達した記憶があります。
少し話はそれますが、ファームの先発として投げまくっていたその頃は、私にとって貴重な時間だったように思います。それまで、1軍でも2軍でも中継ぎとして短いイニングを、力任せに投げていた私が、先発して長いイニングを投げることによって、少なからず打者との駆け引きを学んだように思います。チェンジアップ、シュートといった、今では多投している球種を覚えたのはこの時期です。ファームとはいえ、最多勝や防御率などいろいろなタイトルを獲得して、1軍へ向けての手応えを掴んだものでした。
ああ!そう考えると先日のヤクルト戦で打たれた場面では、打者との駆け引きが出来ていませんでした。また思い出してしまいました。重ね重ね悔しいです。
ファームの現在の充実ぶりを説明するつもりが、随分話がそれてしまいました。とにかく今、上(1軍)を狙っている選手がたくさんいます。一つの要因は、怪我をして3軍にいる選手が、4、5年前比べて格段に少ないことが挙げられます。それは、トレーナーの努力、トレーニング方法の改善、選手の意識の変化など様々要素が絡んでの結果であり、チームとして良い方向へ向かっていると思います。
競う相手が多いことは、チームにとってだけではなく、選手にとっても良いことであるはずです。ただし、競争に負ける訳にはいきません。
悔しくて眠れない日々が続きましたが、昨日くらいからようやく落ち着いてきました。今日は、しっかり睡眠をとって明日から全力で野球に打ち込んでいきたいと思います。

今日は、ウエスタンリーグの阪神戦が、由宇球場で行われました。
由宇球場は、山口県の東部、岩国市にありカープのファームの本拠地です。当然、広島市からは離れたところにあるので、試合の日は早起きを強いられることになります。
今日は、5時45分起床。支度をして車で大野練習場に向かいます。所要時間は、早朝であれば25分前後でしょうか。大野練習場で、ユニフォームに着替え、試合や練習に必要なものを忘れ物がないようにバックに詰めて、今度は球団所有の車に乗り込みます。大野練習場の出発時間は、7時半です。球団所有の車数台と、バスに分乗して由宇を目指します。所要時間は40分程度です。8時10分くらいに到着して、みんなが揃い次第、練習開始です。
球場は山の中にあります。耳をすませば、うぐいすの声が聞こえます。とてものどかな雰囲気ですが、それとは裏腹の厳しい1軍を目指した戦いがここを主戦場に始まります。
今日は、試合での登板はありませんでしたが、試合のメンバーに入ってブルペンで待機をしました。
先日のヤクルト戦で打たれた悔しさ、登録抹消された悔しさもあり、ここ3日間はまともに睡眠がとれていません。気持ちは切り替えているつもりですが、目をつむると、打たれた場面や様々な感情が頭をよぎり、眠れません。
この悔しさを忘れず、全力で練習に打ち込む。今の私にできることは、それだけです。睡眠不足であろうが何であろうが、グランドに立てば関係ありません。
最後になりましたが、たくさんの激励のお言葉をいただき、ありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。私のことを応援してくださる人がいることを忘れずに、前を向いて歩んでいきたいと思います。

今日、登録抹消となりました。実は、昨日の中止決定後に言い渡されていましたが、公示を待ってからお伝えすることにしました。非常に悔しいです。しかし、落ち込んでいる暇はありません。今日は、朝の9時から二軍に合流して、大野練習場で練習を行い、昇格を目指して再スタートを切りました。やはり、練習メニューは1軍に比べるとハードに設定されていますが、若い選手以上に走って、投げて、自分を高めていきたいと思います。
賛否両論はあると思いますが、ブログは続けようと思います。こんなときだからこそ、ブログを通していろいろなことを考える時間も必要だと考えたからです。明日からは、試合もあるので、また新たな気持ちで頑張っていきます。

今日のヤクルト戦は、14時頃から降り始めた雨の為、中止となりました。
これで、早くも今シーズン4度目の中止です。
昨日、打たれたこともあり、少しでも早く次のチャンスが欲しかったのですが、残念です。
明日に備えます。

今日のヤクルト戦で登板しましたが、1回で3失点。チームも敗れました。
失点の後切り替えて、1点でも少なくしなければいけません。
悔しくて、残念。次、結果を残すしかありません。

今日の練習は、中継ぎ陣は自主参加だったので、思い切って休みました。登板間隔が開いているので、練習すべきか迷いましたが、試合で登板がない分、練習量をここのところ増やしていましたし、試合で投げなくても、当然、ブルペンではずっと気持ちを入れて出番を待っているので、この1週間、結局1度も投げていない私は、逆に言えば誰よりも長い時間、ブルペンの中で緊張状態にあったとも言えます。
そんな訳で、敢えてグランドに立たず、リフレッシュして明日以降に臨む道を選択しました。
ただ、完全に休養してしまうと、休み明けに少しだるさを覚えることがあるので、夕方から、比治山公園(広島市南区)まで行き、ランニングをして一汗かいてきました。比治山公園は、起伏に富んでいて、足腰の強化にはうってつけのランニングコースがあるので、このオフ、何度も足を運び、ストップウオッチを片手に、激しい走り込みをした場所です。ここに来て同じコースを走ると、苦しくても、必死に足を進めた自分を思い出し、また改めて頑張ろうという気持ちになりました。
また、久しぶりに家族との時間もたっぷりとれて、楽しい時間を過ごし、たくさん笑うことができました。「入団への道」の続きを書こうかとも考えましたが、今日はゆっくりと時間を過ごしてしまったので、またの機会にします。
明日から、また連戦です。チームの力になれるように、最善を尽くします。

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2008年4月20日
試合前の練習を終えて。
<写真提供:デイリースポーツ

今日は、巨人戦がナイターで行われ、5対4で競り勝ち、嬉しい連勝、そしてカード勝ち越しを決めました。やや重苦しかったチームの雰囲気も、この連勝で上向きそうです。
しかし、私は、今日も登板がなく、これでこの1週間は、結局登板することなく終わってしまいました。仕方ないことではありますが、やはり少し残念です。この1週間もそうでしたが、毎試合、いつでも投げられるように、心身とも最善の準備だけはしているつもりです。これからも、それを続けて、登板を待ちたいと思います。
さて今日は、野球と風の関係について少しお話しします。昨日、高橋建さんをリードした倉の談話に、「今日の風なら左打者に引っ張られてもホームランにはならないので、思い切ってインコースを攻めた。」というものがありました。あれだけ重たい硬球が風によって、それほど影響を受けるのか?と疑問に感じる方もいるでしょう。しかし、実際にプレーしてみると、その影響力には驚かされるばかりです。
一昨日、昨日と、市民球場はとても強い北風が吹いていました。ライト方向からホームベース方向へ吹き抜ける強い風です。私は、フリー打撃を注意深く見ていましたが、ライト方向へ上がった高いフライは、無風のときに比べると15メートル(あくまで私の推測)は戻されていました。もし、昨日と同じ強さの風が、反対方向に吹いていたと仮定すると、同じ打球でも落下地点は30メートルも変わってくることになります。これだけ違いが出てくるとなれば、配球などの戦略面に影響を及ぼすことは、むしろ当然であることがお分かり頂けると思います。
また、風の影響はそれだけではなく、投手の球そのものにも及びます。例えば、一昨日、昨日のように強い風が、外野からホームベース方向に吹いていると、ネット裏のスタンドや壁にぶつかった風が跳ね返り、ホームベース付近に限り、逆方向の風が吹く場合があります。こんな状態の日は、変化球がいつもより大きく曲がります。特に、フォークなどの落ちる球は、非常に大きな変化を見せるときがあるので、コントロールできれば、とても有効になります。実際、一昨日の永川のフォークの落ち方は、とても激しいものがあり、打者のバットが空を切るのも当然といった感じでした。もちろん本人の状態がよかったからこそ投げることができた球であるとは思いますが、そのいいフォークを、風が更に後押しして凄い球に仕上げたと、私は推測します。
風は、時には野手の落球を誘ったりして、プレーしづらい状況を作り上げますが、ボールを変化させて打ち取るタイプの私は、実は風の強い日が大好きです。過去にも、強風のお陰で好投した記憶が多々あります。風の強い日のボールの変化の度合いは、マウンドに上がってからの投球練習で計ります。そこで手応えを得た球種を主体にして、攻めるのです。
最近は、風の影響のないドーム球場が増えてきて、少し味気ない感じがします。私は、風を含めた気象条件を味方に付けて戦うことも、野球の醍醐味の一つであると思います。野外の球場は、暑かったり、寒かったりして大変な部分もありますが、私はやっぱり外で野球をするのが好きです。
皆様も、風の強い日などは、注目してみて下さい。その日のヒーローは必ず風を味方につけているはずです。昨日のヒーローの建さんも、「試合中、旗を見て、ずっと風向きと強さは気にしていたよ。」と話してくれました。やはり風を完全に味方にしての活躍でした。
それでは、今日はこの辺で。明日は、練習は休みですが、軽いランニングだけはしておきたいと思います。

今日は、巨人戦が、デーゲームで行われました。結果は1対0。高橋建さんの鮮やかな完封勝利です。
今日も援護が少なく苦しい展開でしたが、そんな中でも勝てたことが、チームにとって何よりのいい薬になるはずです。
それにしても、建さんは凄かったです。投球はもちろんのこと、フィールディングでも、素晴らしい動きを見せて、連敗中のチームをその背中で引っ張り、勝利に導きました。建さんは、投手陣最年長ですが、今日はとても若々しく、攻撃的でした。
いいものを見させてもらい、私も気合いが入りました。恐らく、今日の試合を見ていた投手全員が私と同じ気持ちだと思います。次に登板するときは、建さんに負けないような、気持ちの入った投球をしたいと思います。

今日は、市民球場で巨人戦が行われましたが、1対5で敗れました。チームはこれで4連敗。
先発の大竹は、ヒットを許しながらも、粘って投げていただけに、攻守共に、援護が欲しかったところです。
巨人も6回の先発投手の交代の際に、代えられた投手が怒りをあらわにするなど、まだ付け入る隙はあると思うので、勝率の高い地元のデーゲームで、巻き返したいと思います。
私は、登板が無く、また若干間隔が開いてきましたが、いつ投げてもいいように気持ちを入れておきます。

今日の阪神戦は、雨の為中止になりました。選手は、16時前から、甲子園の室内練習場で約2時間汗を流して、明日以降に備えました。
私は、午前中のウエイトトレーニングに続き、午後の全体練習中も、ノックや強化運動などで少し強めに動きました。
昨年までの考えでは、試合の日は、登板に備えて軽めの調整に徹していたので、午前中にウエイトトレーニングに出掛けることなどありませんでしたが、今年は、ずっと下半身強化を重点課題にしているので、オープン戦中から、「試合で投げながらも鍛える」形を継続しています。この形で今のところ体調はいいので、結果に結び付くことを信じて取り組んでいきたいと思います。
さて、今日は雨天中止で、少し時間ができたので、入団への道の話の続きをします。
前回は、秋季キャンプ参加中に、スカウトから、その年(1997年)のドラフト指名の可能性が無くなったことを告げられたところまでお話しました。
「これで選手契約の夢は遠のいたな・・。もういい年齢だからな・・。」
ショックで、スカウトが帰った後も、しばらくその場所を動くことができませんでした。
「選手でなくても構いません。何でもしますから、プロの世界で働かせて下さい!」
これは、約1ヶ月半前に、私が渡辺スカウトに向かって言った言葉でした。もちろん今もその気持ちは変わっていません。しかし、その一方で、秋季キャンプに参加し、選手と同じグランドの上で汗を流してみると、やっぱり「選手としてチャレンジしてみたい」という意欲は強くなっていました。
しかし、それも厳しい状況になってきました。ただ、明日からも秋季キャンプは続きます。
「明日から、どうやって気持ちを奮い立たせればいいんだ。」
その日は、眠れない夜を過ごしました。絶望感、不安、まだチャンスはあるかも知れないという淡い期待感・・。いろんな感情が交錯し、私を眠りから遠ざけました。ただ、その中でひとつだけ心に決めたことがありました。
「明日からの練習も、今まで同様、いや今まで以上に頑張ろう。こんな時だからこそ頑張っている姿を見せるんだ。もしかしたら、真価を問われるのは今からなのかも知れない。必ず誰かが見ていてくれるはずだ。」
次の日からも、私は今まで以上に元気に、練習に取り組みました。恐らく、周りも私がその年のドラフトのリストから漏れたことは知っていたかも知れません。でも、同情を誘う余地がないくらい、私は、ハツラツとグランドを駆け回りました。
ドラフトの日が、やってきました。当然ですが、指名はありませんでした。それなのに、夕方のニュースや翌朝の新聞で、心のどこかで自分の名前を探している私がいました。
そういえば、2年前の大学4年生のドラフトのときもそうでした。指名されればその日のうちに連絡があるのは当たり前なのに、諦めきれず、翌朝の新聞が届くのを待ちわびていた私がいました。届いた新聞の指名選手の欄には、当然名前はありませんでした。分かっていることなのですが、すごく落胆したのを覚えています。
ドラフトも終わり、秋季キャンプも最終日となりました。序盤は、プロのレベルの高さに圧倒され、いいところがありませんでしたが、あの「怪我の功名」以来、ブルペンでもいいボールが増えてきて、精神的にも上向いてきました。そして、約2年間、本格的な運動をしていなかった体も、この3週間余りの期間で、ずいぶん動くようになった実感がありました。何より、全ての練習メニューに、集中して全力で取り組んだことに、大きな達成感を感じ、プロのキャンプを完走できたことで大きな自信を掴むことができました。
「ドラフト指名はなかったけど、できることは全てやった。悔いはない。」
私の最初のキャンプは幕を閉じました。
翌日、私は、市民球場内の球団事務所に呼ばれました。もうこの秋、何度となく経験した緊張感を感じながら、大野寮を出て電車で市民球場へ向かいました。
球場の2階の食堂で待っていたのは、球団の常務(現社長)でした。この先私はどうなるのか。緊張はピークに達しました。
「キャンプはよく頑張ったみたいだな。」
「はい。」
「ドラフトは既に枠が埋まっていた。支配下登録できる人数にも決まりがある。」
「はい。」
「やっぱり、まずは選手でやってみたいだろ?」
「はい。」
「それなら、来年、ドミニカへ行ってこい。うちのアカデミーがあるから、そこで練習して来い。条件が揃えば試合にも出れると思うし、日本にいるよりいい経験ができるはずだ。」
「はい。ありがとうございます。」
「また、詳しいことは連絡させる。頑張っておくんだぞ。」
「はい。本当にありがとうございました。」
私は、食堂を出て、市民球場を後にしました。緊張から解き放たれ、嬉しさが込み上げてきました。
「まだ、可能性が残った。頑張ればプロ野球選手になれるかも知れない。」
9月に、市民球場で入団テストを受け合格をもらったときと同じように、平和公園で喜びに浸りました。
「本当によかった。この先、何があっても絶対に頑張ろう。そしてプロ野球選手になるんだ!」
11月の下旬の冷たい風が吹いていましたが、火照った体と、熱い心のせいで、心地よいそよ風に感じました。私は、そのまま、近くの本屋へ向かいました。地図でドミニカ(共和国)の場所を確認する為です。大体の知識はありましたが、地図上で見ると、やはり遠い。それは、中南米・カリブ海に浮かぶ島国でした。
「地球の裏側だな・・。しかも赤道に近い。こりゃあ暑いだろうな。」
一瞬、不安な気持ちになりましたが、その何倍もの希望が私を支配していました。
「まあ、関係ない。プロになれるなら、どこへでも行く。」
こうして、私のドミニカ共和国行きが決定し、ドラフト関連の取り決めに従い、自費留学という形になりました。
後日、埼玉の実家に戻った私のところに、連絡が来ました。
「出発は、翌年1月8日。帰国は未定だが、秋までいたらいい。自主トレ組と一緒に出発してもらう。参加選手は、新人の遠藤竜志、小林幹英、そして、2年目の黒田博樹。当然、彼らは、2月のキャンプに合わせて帰国する。その後は、日本人選手は君だけになるけど、頑張れ。」
今日はここまでにします。最後までお付き合い頂きありがとうございました。甲子園では勝てずに悔しい思いをしたので、明日からの戦いにその気持ちをぶつけます。

今日も、甲子園で阪神戦が行われましたが、1対5で敗れました。
初回に、アレックスがソロホームランを放ち、先制。久々の得点、そして先取点で盛り上がったのもつかの間、裏にすぐに追い付かれ、その後は、相手先発の巧みな投球に翻弄され完投を許しました。
投手陣も、味方の好守があったにも関わらず、堪えきれず5失点。6回の失点は、無駄な四球がきっかけであり、痛い点の取られ方でした。
私は、登板なし。阪神が5番に左の葛城を入れてきたので、上位にずらっと左打者が並んだ為、ずっと体を温めて待機していましたが、今日は出番なし。チームは苦しい状態になりましたが、登板したときに、少しでもその力になれるように、しっかり準備をしたいと思います。
最後の部分は、いつも同じことを書いているような気がしますが、自分自身に言い聞かせる意味合いがあるので、お許し下さい。

今日は、甲子園球場で阪神戦が行われました。結果は、0対5の完封負け。これで一昨日の中日戦に続き、2試合連続で完封されてしまったことになります。
横浜戦でのサヨナラ勝ち以来、少しずつ上昇していたムードも萎んでしまい、何か開幕後の重苦しいムードが戻ってきた感じすらあります。
球場から宿舎までのバスの中で口を開く者はいませんでした。
それでも、ルイスは今日も力強い投球で、その実力を証明しましたし、栗原にも3本ヒットが出たので、気分的には少し上向いて来るのではないでしょうか。今度は、試合を決める場面での強烈な一打を期待しましょう。
ところで、今日、私達は初めてリニューアルされた、甲子園球場に足を踏み入れました。
グランド内は、ファールグランドが少し狭くなったような感じがするくらいで、さほど大きな変化は感じませんでしたが、スタンド下の選手ロッカー等の施設は全くの別物になっていました。
昨年までは、他球場に比べて狭いロッカーの中に、更衣室なしのシャワーが3つ、トイレが2つ。僅かに開いたスペースに、マッサージの際に使うベットを2つを並べていました。そうなると、ケータリングの食事を並べる場所がないので、それらは廊下に追いやられていました。
それが、どうでしょう。広々としたロッカーに、大きな浴槽付きの浴室に広いトイレ。ベットを3つ余裕で並べることが可能なトレーナー室。座席数が20以上はある食堂。格段に機能的になった、鏡付きのスイングルームなどなど。
一塁側も、更に良くなっているとは思いますが、三塁側のビジターチームにとっても、何ひとつ不自由ない環境が整っています。
あとは、市民球場だけですね。市民球場を訪れたビジターチームの選手から、ブルペンやロッカーについての不満を聞くことがあります。
他球場は、どこもビジターチームに対しても、それなりの環境を整えてくれています。新球場は、相手に対しても失礼のないものであることを期待しましょう。

今日は、移動日(市民球場で練習後、神戸へ移動)なので、「入団への道」の話しの続きをします。
前回は、ようやく秋季キャンプ(由宇)参加まで漕ぎつけたものの、キャンプ初日のブルペンで、横で投げるプロの投手の迫力に圧倒され、自身が1球も投げないうちに、萎縮ぎみになったところまでお話ししました。
「それにしても凄い。しかもここにいるのは、現在は2軍に在籍している選手のはず。やはりプロのレベルは高い。」
大学時代は、野手として川上憲伸(明治)や三澤興一(早稲田)といったプロレベルの投手と対戦を重ね、そのレベルの高さを体感しているつもりでした。しかし、それはあくまでも打者の視点であって、投手の視点ではありませんでした。いざ、今、私の横で投げている投手と同じようなボールを投げろと言われても、それは無理な注文でした。野手上がりの私とは、明らかに異質の、キャッチャーミットを突き抜けて、どこまでも伸びていきそうな、強烈なスピンの効いたボール。まさにこれが、プロレベルの「投手の球」なのでしょう。
私は、自分を見失っていました。周りの投手のようないい球を投げようと、力みました。自分のできること以上の結果を求めて、結果的に、本来の自分の力以下のものしか出せない状態に陥っていました。
コントロール、ボールのキレ共に悪い状態が、数日続きました。強い球を投げようと力を入れれば、入れるほど、指先にボールが掛からなくなる悪循環に陥り、しかも、日を追うごとに左の二の腕の辺りが、痛くなってきました。
今思えば、投げる動作で痛くなるはずもないところを痛めるほど、悪いフォームで投げていたのでしょう。「このままでは駄目だ。全くアピールができていない。」焦りは募るばかりです。
キャンプインして、5日ほどたった日のことでした。その日は、投手全員、ブルペンでの投球練習がない、ノースローデーでした。ただノースローとはいえ、キャッチボールはあります。私の二の腕の痛みは、限界に達していました。もはや、握力もなくなり、腕全体に力が入らない状態でした。しかし、テスト生という立場上、「休みます。」とは口が裂けても言えません。
「困ったな。このキャッチボールをどうやって乗り越えようか。」
幸い、ノースローデーなので、キャッチボールさえ乗り越えれば、とりあえず明日を迎えることができます。私は、なるべく端っこのほうのコーチの目の届かないところで、やり過ごすことにしました。
それでも、全く投げていなかったら、目立つので、握力の落ちた左手で、何とかボールを支え、力が入らない左腕を何とか振り上げ、ボールを相手のところまで「運び」ました。そう、その動作は、もはや投げているとは言えないくらい、力感のない、緩やかな動作でした。
10球ほど、ボールを相手のグローブに「運んだ」ときのことでした。私は、異変に気付きました。
「ボールが指に掛かっている。」
ボールは緩いものの、回転数が普段の倍はあるのではと感じるくらい多く、不思議な感覚でした。その後、距離を伸ばしても、その良い感覚は変わらず、次第にリリースした後のボールが、「シュルルル」と空気を切り裂く音を立てるようになりました。知らないうちに、投げる球は速く、強くなっていましたが、二の腕は全く痛みません。
「気持ちいい!何だこの感覚は!」
心の中で叫びました。少なくてもここ10年以上は、味わったことのない感覚でした。子供の頃、リトルリーグでエースだった頃、こんな感じがあったような気もしますが、ずいぶん昔のことなので、それも定かではありません。
全く力を入れなくても、いや、腕に無駄な力が入っていないからこそ、自然にトップの位置が確立され、肘や手首が柔らかくしなり、ボールに多くの回転を与えられる状態になっていました。
まさに怪我の功名です。二の腕の痛みが、私に「投手の球」の投げ方を教えてくれたのです。それは、もう今までの私のボールとは別物でした。
「この感覚でブルペンで投げれば、周りの投手と同じレベルの球が投げられるはずだ。」
先の見えない、暗い一日で終わるはずが、一転、将来に希望を抱かせる一日に変わりました。うまくなる為のきっかけは、どこに転がっているか分かりません。諦めずにグランドに立ち続けることの大切さを、この日学んだような気がします。
その日を境に、私の投球は変わりました。長い間で染み付いてしまった、悪い投げ方は、簡単には払拭できないので、劇的に良くなるというわけではありませんでしたが、少なくても、何をすれば良いのか分からなかった今までとは違い、「こうすればみんなに追いつける。」というものが見つかったおかげで、周りを気にせず、自分のすべきことに集中するようになりました。
少しずつ充実感が出てきたある日のこと、ちょっと嬉しいことがありました。
いつものように、由宇で練習を終え、大野寮に戻る為のバスに乗り込むと、今考えると何故かは分かりませんが、この時の2軍キャンプに参加していた紀藤さん(現楽天投手コーチ)に呼び止められました。
「おい、テスト生!よく頑張ってるな。カープにご縁がありますように。」と言って、手に持っていた五円玉を私にくれたのです。
私は、緊張して、「ありがとうございます!」と繰り返し言い、その場を離れました。自分の席に戻っても、私の顔は紅潮したままでした。それも当然です。私から見たら、紀藤さんといえば雲の上の存在であり、もちろん話したのもその時が初めてでした。そんな人が私の為に・・。私は、嬉しくて、嬉しくて、バスが大野寮に着くまでの間、ずっとその五円玉を握りしめていました。
次の日から、私はその五円玉を大切に、野球バックの中にしまい込み、練習に参加し続けました。
気がつけば、キャンプも後半に入りました。夢中で練習に打ち込み、野球に集中できていましたが、やはり「カープにご縁があるのか」気になる時期になってきました。ドラフトも間近に控えています。
そんなある日、大野寮でついにスカウトに呼ばれました。「いよいよ来たか。」私は、この秋、何度目かの、胸の張り裂けそうな緊張感を覚えました。
「広池。結論から言うが、今年のドラフトではお前を指名することはできない。既に、指名予定人数の8名が確定してしまい、お前を指名するための枠は無くなった。今後のことはまた連絡するが、練習には継続して参加してくれ。我々としてもお前の頑張りは認めているから、何とかしてやりたい気持ちはある。」
そう簡単にはいかないとは思っていましたが、やはりショックでした。
「これで選手としての契約の夢は遠のいたかも・・。もういい年齢だからな・・。」正直、そう感じてしまい、しばらくその場から立ち上がることができませんでした。
今日は、以上です。続きはまた時間のあるときにします。ありがとうございました。

今日は、中日との試合が行われましたが、0対7の完敗でした。
時折、小雨のぱらつく中、応援して下さったカープファンの方々に、見せ場のない試合をしてしまい、申し訳ないです。
私は、8回から2イニングを投げて、打者6人に対して被安打1、奪三振2の無失点でした。前回の登板に続き、今日もボールを低めに集めることができたので、良かったと思います。私の場合、これを続けることが大切なので、次に向けてしっかり準備をしたいと思います。
気分を変えて、今日は、久々にキャッチボールの話をします。私は、「入団の道」で話したように、高校、大学での投手経験がありません。従って入団当初は、技術的なレベルは他の投手と比べて非常に低かったように思います。試合で使える球種は、ストレートとスライダーのみ。しかもコントロールも非常に悪かったように思います。
まあ、それも当然です。他の投手は、高校、大学ではほとんどの人がエースとして、試合で多くの経験を積み重ね、そこでプロのスカウトの目にとまった訳なのですから。
私は、この差を埋める為には、投げるしかないと考えました。しかし、投手は毎日、200球、300球という球数をブルペンで投げ込めるわけではありません。そこでキャッチボールを人より多くこなして、感覚を磨くことにしました。以来、それこそ暇さえあればキャッチボールをしていましたし、相手がいなければ、ネットに向かって黙々と投げ込みをしました。
また、当時、カープで投手コーチをしていた清川さんから、肘や手首を柔らかく使って、山なりでありながらも回転が多く、指に掛かったボールを投げる、「ソフトタッチ」のキャッチボールの重要性を教わり、それを取り入れました。このキャッチボール方法は、肩や肘への負担が少ないので、それこそ、時間が許せば、500球でも600球でも投げることができて、私の投球の感覚を磨くのにとても役立ちました。
そんな、私の姿を見ているチームメイトの間では、私の「キャッチボール好き」は有名で、私自身も「キャッチボールの球数は誰にも負けない!」という自負がありました。
しかし、今年、強敵が出現しました。しかも二人も同時に!
梅津と青木高です。しかもこの二人は、最近、キャッチボールでコンビを組み始めて、試合前でも永遠に続くのでは(少し大袈裟ですが)と思うほど、キャッチボールを繰り返しています。しかも、いくら長く続いても、双方とも決して「やめたいオーラ」を発することがありません。これは凄いコンビです。実際に、梅津は、「やっといい相手が見つかった。」と言っていました。恐らく青木高も同じ気持ちでしょう。
つまり、この2人は元々、「キャッチボール好き」の素質を十分に持っていたが、最高の相手に出会ったことで、お互い一気にそれが開花したと言えるでしょう。
私と宮崎のコンビも、かなり球数は、多いですが、この2人には敵いません。
「キャッチボール好き」の称号は、とりあえず彼ら2人に譲りますが、私のキャッチボールに対する情熱は、少しも変わりません。これからも、キャッチボールを大切にして、技を磨いていきたいと思います。

今日はデーゲームで中日戦が行われ、3対1で勝利しました。開幕から苦しめられてきた中日相手に、今季初勝利です。
両外国人のホームランも見事でしたが、勝因はやはり相手を1点に抑えた投手陣でしょう。
それにしても、中日との試合は接戦が多いような気がします。もともと中日は、接戦に強いチームなので、ようやくですが、今日、それをものにできたことで、チームは自信をつけたと思います。
明日も、勝率の高いデーゲームですし、みんなで粘って、勝利を掴みたいと思います。
話は変わりますが、うちの3歳の息子が、今日、入園式を迎えました。デーゲームだったので、私は式に出席できませんでしたが、球場入り前に、幼稚園に立ち寄り、家族で一緒に記念撮影だけはしてきました。
幼稚園の制服に、帽子を被ると、ずいぶん大人っぽく見えて、改めて成長を実感させられます。これからは、親から離れる時間が増えて、慣れるまでは少し寂しいでしょうが、頑張って欲しいです。
息子は、「野球が好き」と言ってくれているので、私も父親として、いいところが見せられるように、頑張りたいと思います。

今日の中日戦は、3対7で敗れ、先週のサヨナラ勝ちから続いた連勝は3で止まってしまいました。
また、今シーズンは、負けた試合でも投手陣が粘り、接戦に持ち込んでいましたが、今日は粘りきることができませんでした。
先発の大竹は、今季、投手陣の軸として活躍が期待されているので、まずは早く1つ白星を付けて、精神的に落ち着いて欲しいです。それはチーム全体の願いだと思います。
私は、4点リードされた9回に登板して、井端、李、ウッズの3人をいずれも、内野ゴロに仕留めることができました。開幕以来、失点はないものの、やや力みがちの投球が続きましたが、今日は、全てボールが低めに集まり、ゴロを打たせる自分の持ち味を出すことができました。
先日の東京遠征の際に、監督とたまたま新幹線が一緒になり、リリースのとき首と、上体が三塁側方向に開いてしまっていると指摘されました。投手コーチからも同じように注意されていましたし、私も感じていたことなので、今日は何があってもそれだけは、矯正しようと思っていました。
今日は、それができて結果も出ました。これを続けることが大切なので、次もしっかり意識をしていきたいと思います。
明日は、市民球場のデーゲーム。近年、チームの勝率は高いと思うので、何とか中日に勝ちたいと思います。

今日のヤクルト戦は、雨の為中止になりました。観戦を楽しみにされていたファンの方々同様、私も残念です。
チームは、16時前から神宮の室内で練習を行いました。一昨日、中止になっている為、主催者側が、「少々の雨なら試合をやる」と言っていたようですが、本降りの雨は、降り止まず、アップ中に中止が決定しました。
その後、キャッチボールやノック、ランニング等で、明日以降の為に、しっかり体を動かして、引き上げました。
一昨日に続き、また時間ができましたので、「入団への道」の話をさせて頂きます。前回は、当時住んでいた全日空の寮の自室で、会社を辞める決意をしたところまでお話ししたと思います。それでは、続きを始めます。
会社を辞める決意をした私は、ここで初めて両親に一連の出来事を話しました。こんな大切なことなのだから、もっと早く相談すべきだと思われるでしょう。しかし、全く先を読めない状況にいた私は、余計な心配をかけたくないという気持ちが強かったし、ある程度方向性が見えてから全てを話そうと考えていました。しかし、状況は急展開。退社を決意したとなれば、これ以上黙っている訳にはいきません。
全てを話すと、さすがに両親ともに驚いていました。特に、母親は「少し冷静になって考えてみなさい。」と繰り返しました。まあ、当然の反応です。しかし、昔から自分の意志を持って、それに沿って伸び伸びと生きるように教えてくれた両親は、このような局面でも、頭ごなしに反対することは決してありませんでした。私の姿勢も、相談というより、報告と言った感じだったので、後で聞いてみると「何を言っても意志は変わらないだろう。」と感じたそうです。
翌日、早速私は、まず会社の直属の上司である、チーフ(班長)に退社の意思を伝えました。
(私)「会社を辞めたいと思います。」
(チーフ)「何を言ってるんだ。一体何があったんだ。」
「実は、プロ野球の広島東洋カープの入団テストを受けています。今までに行われた2度のテストは何とかパスして、今度は11月に1ヶ月間、広島へ行って秋のキャンプに参加しなければなりません。」
「・・・。」
「今まで黙っていてすみませんでした。正直、合格してプロ野球選手になれる保証はありません。でも、可能性があるのなら賭けてみたいのです。ここで諦めたら絶対に後悔します。離れて初めて分かりました。野球が好きなのです。」
私は、とっさに「2度のテストはパスしている」と嘘をついてしまいました。「カープに断られそうなので、会社を辞めて熱意と誠意を見せたい。」と正直に現状を伝えたら、反対されると感じたからです。
チーフは明らかに戸惑っていました。私も、勢いよく自分の気持ちを伝えたものの、いろいろなことを親身になって教えてくれた、尊敬する人の困惑した顔を見ると、やはり申し訳ない気持ちになり、俯いてしまいました。
その後、別室でリーダー(課長)をはじめとする、その他の上司の前でもう一度、私の意志を伝えることになりました。私が全て話し終えると、しばらく誰も口を開きませんでした。重たい沈黙が続きました。しばらくして、ようやく口を開いたのは、元サッカー選手の上司でした。
「こいつの意志は固いですよ。」
続いて口を開いたのは、最初に相談した、チーフでした。
「私も、そう思います。残念だけど、彼の気持ちは後戻りできないところまで来ていると思います。」
実はチーフも大学時代、名門の硬式野球部の主務という要職を務め上げた、体育会系の人でした。最後にリーダーが、口を開きました。
「気持ちは分かった。でもな、広池。会社はそんなに簡単には辞められないんだよ。11月の頭からキャンプに参加するとしたら、もう3週間しかないじゃないか。まあどちらにしても、1日でもいいから、冷静になって考えてみろ。それでも意志が変わらない場合は反対しない。」
そういえば、リーダーもサッカーをこよなく愛し、いまだに現役(草サッカー)でプレーするスポーツマンです。
こう考えると、私は、上司にも恵まれていました。次の日、私が意志に変化がないことを伝えると、リーダーは約束通り反対はせず、それどころか、特例で3週間後の退職を認める手筈を整えてくれました。
「こうなったからには、絶対にプロ野球選手になれ。全力で応援させてもらうよ。」
それからの3週間は、あっと言う間でした。いろいろな人から、激励されました。そして、1997年10月31日。退社の日がやってきました。1年7ヶ月前の入社式の際には、社長に対して、新入社員を代表して、誓いの言葉を述べた私が、同期入社の中でいちばん最初の退社となりました。その点は本当に申し訳ない気持ちで一杯です。しかし、職場の人は本当に快く私を送り出してくれました。
当時、同じ課に所属していた人達は、いまだに毎年12月に、私を激励するために集まってくれますし、広島支店の人達は、事あるごとに私の応援に駆け付けてくれます。
私は、どんな理由であれ、自分から会社を去った人間です。それなのに、10年以上が経った今でも、心から応援してくれる。私は、本当にいい人達に出会うことができたと思います。
会社を辞めました。もう本当に後戻りできません。カープは、私の気迫が通じたのか、入団テスト継続を認めてくれました。秋季キャンプ(由宇)参加です。
私は、荷造りをして、退社後なので一般客として、チケットを購入して、全日空機に乗り込みました。「やってやる!」熱い気持ちを胸に秘めて、広島に向かいました。
キャンプ初日、由宇練習場はなかなかすごいところでした。辺り一面山に囲まれ、緑がいっばいです。
でも練習施設は、さすがにプロ仕様。広々としたメイングランド、内野守備やランニングができるサブグランド、5人が同時に投げられる屋根付きのブルペン。やはり、全てがアマチュアとは違いました。「よし!頑張るぞ。」そんな、希望とやる気に満ちた私でしたが、練習開始と同時に少しずつ現実の厳しさを、思い知らされることになりました。
練習自体には、何とかついていくことができました。しかし、初めの衝撃は、初日のブルペンからいきなりやってきました。
意気揚々とブルペン入りした、私の目に飛び込んできたのは、隣で投げる細身の右サイドスローのピッチャーでした。しなやかな腕の振りから繰り出されるストレートは、まさに浮き上がるような信じられない軌道を描き、ミットに吸い込まれます。
「ナイスボール山根!」一球ごとにキャッチャーが声を掛けます。
「ここにいるのは、若手中心のはず。一体この世界はどうなっているんだ・・。」
「ズドン!!」
反対側のブルペンで投げている、ドミニカ人ピッチャーの球も、とてつもなく重そうです。
「とんでもないところに来てしまった。俺はやっていけるのか・・。」
キャンプ初日、1球も投げないうちに、プロの洗礼を浴び、少々萎縮ぎみの私。今後が少し不安になってきました。
今日は、ここまでにします。ドミニカ野球留学出発くらいまでは、話したかったのですが、また次回に持ち越します。今日も長文にお付き合い頂きありがとうございました。

今季最初の関東でのゲーム。勝ちました。これでチームは3連勝です。両チームともに先発投手が好投。アレックスのヒットで何とか取った1点を、投手陣が守り切りました。
それにしても、今日のルイスは迫力がありました。弾丸のようなストレートは、少々コースが甘くなっても、相手のバットを完全に押し込んでいましたし、切れ味鋭いスライダーも非常に効果的でした。そして、球数が多かったにも関わらず、8回まで投げたスタミナと精神力も素晴らしかったと思います。
今日も、神宮球場は私たちのホームグランドのようでした。あれだけの声援をもらって、選手が燃えないわけがありません。ヒーローインタビューで、ルイスも、たくさん足を運んでくれたカープファンに感謝していましたが、他の選手の気持ちも同じだと思います。明日もまた来て下さい!と言いたいところですが、天気があまり良くないみたいですね。昨日、中止になってますし、連勝の勢いに乗って試合をしたいところなのですが・・。
私にとっても、今は中止は歓迎できません。開幕してチームは今日で10試合目でしたが、私の登板はまだ2試合です。せっかく先週の日曜日に久しぶりの登板を果たしたのに、また登板間隔が開くのは、あまり嬉しいことではありません。
まあ、今から明日の天気のことを考えても、仕方ありません。今、私にできることに集中して、明日を迎えたいと思います。
最後になりましたが、昨日の「入団への道(1)」の話に登場した、渡辺スカウトは、昨年亡くなりました。11年前のあのとき、私に会いに来たのが、心が優しく、人の話を聞く耳を持った渡辺スカウトでなかったら、私の入団への道は絶たれていたかも知れません。渡辺さんは、初対面のテスト生である私の話を真剣に聞き、受け止めてくれました。私にとって恩人であることは間違いありません。ご恩に報いるために、もっと努力を重ねて、カープの力になりたいと思います。

今日のヤクルト戦は、雨の為中止になりました。
チームは、16時くらいから、神宮の室内練習場で練習をして、明日に備えました。
試合が中止になり、時間ができたので、要望が多かった昨日の話の続きをさせて頂きます。
1997年9月。市民球場の入団テストが、終わりました。奇跡の合格です。球場を出た私は、まさに夢心地で平和公園を何をするわけでもなく歩き回りました。
「プロになれるかも知れない。」そう考えると、今まで経験したことがないくらいの胸の高鳴りを感じました。
ただ、今振り返ると、この日私は、入団への長い道のりの第一歩を踏み出したに過ぎませんでした。
今後は、今日のように時間のあるときに、「入団への道」を数回に分けて振り返り、自身の初心を思い出す機会にもしていきたいと思います。
話を続けます。平和公園でいつまでも余韻に浸っていた私でしたが、帰りの飛行機の時間が迫っていることに気付き、バスセンターから、リムジンバスに乗り、広島空港へ向かいました。私は、会社の休みを利用して、当時住んでいた横浜から、自社の飛行機を使い1泊2日の旅程で、広島に来ていました。宿泊は、羽田空港の旅行代理店で調べて見つけた、駅近くのビジネスホテル。飛行機は、自社の便なので空席があれば、無料でした。帰りの飛行機の中で、休みを利用しているとはいえ、誰にも言わずに、入団テストを受けに行き、何事もなかったかのように、座席に座っている自分に少し罪悪感を感じました。
次のテストは、10日後くらいに、再び広島に出向き、大野練習場で2日間に渡って行われることになりました。日程は会社の休みに合わせてもらいました。
市民球場でのテストが終わってから、次のテストまでの約10日間は、とても長く感じました。入団テストを受けたことは、全日空の人には話していません。「入団テスト受験中」であることを、胸の内にしまい込み、会社で働く私に対しても、職場の先輩達は、今までと何も変わることなく、温かく接してくれます。正直、心が痛みました。「黙っていていいのだろうか?」苦しい日々でした。でもこの先どうなるか全く分からない状況で、テストのことを話すことはできませんでした。
次のテストの日がやってきました。また後ろめたさを感じつつも全日空機に乗り込み広島へ向かいました。テストは2日間連続で、ブルペンでのピッチングを見せることでした。
投げ終わっての評価は、「前回の市民球場のときよりは、良くなかったね。でも、全体的には、まあまあだったよ。」というものでした。まあ、その評価も当然です。市民球場での投球は、私にとっては信じられないくらい良い出来であり、奇跡に近いものでした。プロレベルから見れば、素人同然の実力しかなかった当時の私は、投げれば投げるほど化けの皮がはがれる状態でした。逆にいえば、当時の力からすれば、その大野練習場での2日間も、充分に実力以上のものが出せたと思います。
合否の発表はありませんでした。ただ、「また、こちらから連絡する。」と言われただけで、大野練習場を後にすることになりました。スカウトやコーチの反応を見ると、正直、手応えはありませんでした。「もう駄目かなぁ。」少し暗い気持ちで帰りの飛行機に乗り込みました。
仕事に戻ってから数日後、カープから連絡がありました。「話しがあるから、東京でうちのスカウトと会ってくれ。」とのことでした。期待と不安が交錯する、複雑な感情を抱きました。待ち合わせ場所は、渋谷の中華料理店でした。待っていたのは、当時、関東地方のスカウトを担当していた渡辺さん。私は緊張していました。「一体どんな話なんだろう。」渡辺さんは口数の少ない人で、話は、いきなり核心へと向かっていきました。
「これを見てくれ。」渡辺さんが差し出した紙には、当時、カープに在籍していた投手の名前が、右投げと左投げに分けて、年齢順に並べてありました。
「来年、君は25歳だね。うちには君より若くて潜在能力の高い投手がたくさんいる。」さらに、「今後、入団テストを継続するとしたら、今度は、11月の秋季キャンプに1ヶ月参加することになる。会社勤めの君には難しいのでは。」
口調はとても優しいのですが、内容は厳しいものでした。はっきりは言わないものの、私には、入団を断りに来ているようにしか聞こえませんでした。
私は、焦りました。こんなチャンスはもう二度と来ないことは分かっていました。逃してなるものか。私は、必死になって野球への情熱を訴えました。最後は、「選手でなくても構いません。何でもしますからプロの世界で働かせて下さい。」と言いました。これは、私の心の叫びでした。プロ野球の世界への憧れは、もはや頂点に達していました。
渡辺さんは困惑しているように見えました。でも、優しい人でした。私の話を最後まで聞いてくれました。結局、その日は、結論が出ないまま、別れることになりました。
「もう駄目だ。」これが私の感じた正直な感触でした。思えば、市民球場での入団テストで合格して以来、私の心の中では、プロ入りへの夢が膨らむ一方でした。勝手に、プロ入り後のことにまで思いを馳せる自分もいました。しかし、その日、現実を突き付けられました。夢はやはり夢で終わってしまうのか。
暗い気持ちで、当時住んでいた、横浜の全日空の寮に戻りました。自分の部屋に入り、鍵を閉め、その日の出来事を振り返りました。すると、目に涙が溢れてきました。しかも、どうしたことか、いつまでたっても涙は止まりません。こんなに涙は流れるものなのか。生まれていちばん泣きました。まさに、涙枯れるまで泣いた後、私は決意しました。「会社を辞めよう。」それでも入団テストを継続してくれる保証はありませんでしたが、とにかく、誠意、熱意を見せることで何かが変わってくれることを願うしかありませんでした。
もはや自分の意に反して溢れ続けた涙が、私にとって野球というものがどれだけ大切なものか、気付かせてくれました。
後戻りできない状況に身を置くことに、不思議なくらい怖さはありませんでした。それどころか、心の中に静かでありながら決して消えることのない、炎のような闘志を宿した感覚を覚えました。「何も怖くない。もう前に進むだけだ。」そう決意した11年前の秋の夜でした。
今日は、この辺にします。続きはまた後日。今日も、長い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。

今年は、市民球場のラストイヤーです。
私は、今年、プロ入り10年目です。本拠地であるこの球場には、やはり様々な思い出があります。今後は、月に一度くらいのペースで(あくまで予定です)、それを振り返ってお話ししてみようと思います。
第1回目の今日は、市民球場との出会いです。
私が初めて市民球場に足を踏み入れたのは、1997年の9月、カープの入団テストの日でした。
立教大学時代、外野手として1年生の時から4番を任され、プロ入りを熱望していましたが、その夢は叶わず、私は野球を諦め、全日空に就職しました。
全日空では、羽田空港のカウンター業務に就き、充実した日々を送っていました。そもそも飛行機が好きでしたし、空港独特の華やかな雰囲気も大好きだったので、とても楽しかったです。
転機は、業務全般に少し慣れてきて、余裕が生まれた入社2年目に訪れました。大学時代、神宮で共に戦った同級生や先輩、後輩が次々にプロ入りし、活躍。遠征の際に、羽田空港を歩く彼らの姿は、非常に輝いていて直視出来ないほどでした。「少し前まで同じ土俵で戦っていたのに、現在のこの違いは何なんだ・・。」。
この時からです。「野球から離れてしまって良かったのか!?何か取り返しのつかないことをしてしまったのでは・・。」と考えるようになり、夜も寝れなくなりました。会社の仕事は楽しく、上司にも恵まれ、文句なしの環境でしたが、やはり自分にとって何がいちばん大切なものか、離れて初めてわかりました。
「野球がしたい。いずれにしてもこういった気持ちを隠して仕事を続けるのは、自分に対しても会社の周りの人に対しても良くない。区切りをつけよう。」と考えるようになりました。
そんな時、私はスポーツ新聞の片隅に、「広島東洋カープ入団テスト実施」の記事を見つけました。胸が高鳴りました。受験資格は23歳まででしたが(当時私は24歳)、そんなのお構いなし。速攻、葉書に必要事項を書いて投函しました。
「広池浩司、24歳、投手」。高校、大学と投手経験がないのに、私は迷わず「投手」と書きました。理由は、投手がやりたかったから。それに、もし受かるとすれば左投げだし、投手としてしか有り得ない。という計算もありました。さらに、大学時代、あれだけ練習してもプロになれなかったのだから、野手としての能力には限界も感じていました。
前置きが長くなりましたね。ようやく市民球場の登場です。試験当日。気合いは入っていましたが、緊張はありませんでした。受験決意から約2ヶ月。仕事もあり、ほとんど何も準備はできませんでした。そもそも、まずは投手としての自分をプロのスカウトに見てもらうことが目的であり、喜びであったので、その先のことは何も考えていませんでした。
初めて足を踏み入れた市民球場は、テレビを通して持っていたイメージとは違いました。
黒く、程よい水分を含んだ質の良い土、想像以上に大きな観客席。やっぱりプロのグランドは違うなあと、感心しました。でも、いちばん目を奪われたのは、テストの手伝いの為にやって来た選手のユニフォームの鮮やかさでした。実際にプロのユニフォームは、市販されているものとは質が違うし、クリーニングの仕方もいいので、日光やナイター照明に照らされると輝いて見えます。でも、それ以上に、入団テストを受けに来た私にとっては、まさに憧れのユニフォーム。反射ではなく、実際に自ら光を放っているのでは!?と感じるくらいのオーラがありました。まあ、今考えると、そこにいたのは、若い頃の長谷川なんですけどね。
テストは、午前中に50メートル走と、遠投。それをパスした者が、午後の実技に進めます。私は、立教大学時代の背番号10のユニフォームの上に、ゼッケン6番を付けてテストに臨みました。
まず50メートル走。随分久しぶりの全力疾走に感じましたが、足が軽い!合格設定タイムは知りませんでしたが、「もしかしたら、クリアしたかも」。
次に、遠投。ここ2年くらい遠投などしてないから、どうなるか全く想像がつかない。一塁線から、レフトポール方向に2球投げて、いずれもフェンス直撃。「まあ、こんなものか。でも意外と投げられるものだ。」
受験者は100名弱。中には、明らかに「記念受験」的な人もいます。足がもつれて転んだり、投げた球が20メートルくらいのとこ